新富駅

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新富駅
しんとみ
Shintomi
政和 (5.5 km)
(4.4 km) 添牛内
所在地 北海道雨竜郡幌加内町字新富
北緯44度10分46.1秒 東経142度8分24.6秒 / 北緯44.179472度 東経142.140167度 / 44.179472; 142.140167座標: 北緯44度10分46.1秒 東経142度8分24.6秒 / 北緯44.179472度 東経142.140167度 / 44.179472; 142.140167
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 深名線
キロ程 64.2 km(深川起点)
電報略号 シミ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1955年(昭和30年)9月2日
廃止年月日 1990年(平成2年)9月1日
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1977年の新富駅と周囲約500m範囲。左上が朱鞠内方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

新富駅(しんとみえき)は、北海道空知支庁雨竜郡幌加内町字新富にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線廃駅)である。電報略号はシミ。利用者減少により1990年(平成2年)9月1日に廃駅となった。

歴史

戦時中の1943年(昭和18年)から1945年の終戦頃まで、近隣で亜炭の鉱区が開かれて添牛内駅まで月産500tの馬搬が行われていたことから、関係者や住民から開駅の要望が出されていた[1]。炭砿は昭和22年に休鉱となったが要望は根強く、ついに鉄道局の許可を取り付けて部落負担でホームと駅舎等を建設したが、結局貨物の取扱を行わない無人の乗降場となった[1]。レールバス導入(1955年8月21日)に伴なって開設された他の乗降場に先んじて設置された。

駅名の由来

もともと地名は「豊富」であった。しかし宗谷本線豊富駅と紛らわしいため「新富」とした[3]。その後住民から地区名も新富に変更するよう要望があり、1960年(昭和35年)1月1日から地区名も新富となった[5]

なお、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では、字名改正が先であったとしている[3]

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、分岐器を持たない棒線駅となっていた。ホームは石組み土盛りの造りで、線路の東側(名寄方面に向かって右手側)に設置されていた[6]。また、無人駅であったが、ホーム中央部分の出入口附近に待合所機能のみの木造駅舎を有した[7]

駅周辺

駅前に民家は無く、周囲は休耕が目立っていた[6]

駅跡

廃駅と同時に撤去され、2011年(平成23年)時点では駅関連施設はすべて撤去されている[7]

隣の駅

北海道旅客鉄道
深名線
政和駅 - 新富駅 - 添牛内駅

脚注

  1. ^ a b c d 新幌加内町史 2008年3月発行、P585-586。
  2. ^ a b c d e 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年10月 JTB編集発行。
  3. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、114頁。ASIN B000J9RBUY 
  4. ^ 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)76ページより。
  5. ^ 新幌加内町史 2008年(平成20年)3月発行、P199-200。
  6. ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)205ページより。
  7. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)178,183ページより。
  8. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。

関連項目