朱鞠内駅

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朱鞠内駅
駅舎(1994年8月31日)
国鉄標準の駅舎とは異なり、屋根勾配は出入り口やホームに雪が落ちない向きとなっている。
しゅまりない
Shumarinai
共栄 (3.3 km)
(1.9 km) 湖畔
所在地 北海道雨竜郡幌加内町字朱鞠内
北緯44度17分2秒 東経142度9分48秒 / 北緯44.28389度 東経142.16333度 / 44.28389; 142.16333
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 深名線
キロ程 78.8 km(深川起点)
電報略号 マリ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
48人/日
-1979年(昭和54年)-
開業年月日 1932年昭和7年)10月25日
廃止年月日 1995年平成7年)9月4日 *
備考 * 深名線とともに廃止。
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1977年の朱鞠内駅と周囲約500 m範囲。上が名寄方面。多数の副本線と、駅裏のストックヤードは木材が沢山野積みされている。名寄側に機関区の名残の転車台跡が残されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

朱鞠内駅(しゅまりないえき)は、北海道空知支庁雨竜郡幌加内町字朱鞠内にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線廃駅)である。電報略号マリ事務管理コードは▲121411[1]

歴史[編集]

駅名の由来[編集]

当駅が所在していた地名より。地名は、アイヌ語由来とされるが、諸説ある[2][14][15]

アイヌ語 意味 由来
カタカナ表記アコㇿイタㇰ ラテン翻字
スマリナイ[注 4] sumari-nay キツネ・川 永田方正による説。町史や1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』もこれを採り、「むかし多くのキツネがすんでいたため[2]」としている。ただし永田は由来の考察にあたって現地に入らず、音に合わせてアイヌ語を当てただけだったとしている[15]
スマウㇱペッ suma-us-pet 石・多い・川 いずれも松浦武四郎による説。
スマサンナイ suma-san-nay 石・流れ出る・川
スマアンペッ suma-an-pet 石・ある・川
スマリナイ suma-ri-nay 石・高い・川 山田秀三による説。ただし、北海道庁アイヌ政策推進室による「アイヌ語地名リスト」では「語法上は疑問[14]」とする。

駅構造[編集]

当駅で交換する列車(1994年8月31日)
朱鞠内駅構内(車両はキハ53。1994年2月)

廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは、駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[16]。駅舎側ホーム(西側)、対向側ホーム(東側)共に上下線共用となっていた。対向側ホームの外側1線が側線となっており、そのほか駅舎側本線の名寄方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[16]1983年(昭和58年)時点では構内外側にさらに3線の側線を有し[17]、最も外側の側線からは名寄方に分岐して転車台を有し、その先で更に3線に分岐し車庫に至る行き止まりの側線を有した[17]。その後1993年(平成5年)までには撤去された[16]

職員配置駅で、駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接していた[16]。駅舎は1964年(昭和39年)の朱鞠内大火の後に建て替えられた耐火ブロック造平屋の建物であった[18]。1983年(昭和58年)時点では駅舎内にキク造花や木の根の大株が飾られていた[17]。また、「わたしの旅スタンプ」が設置されていた[17]。焼失した旧駅舎は一部二階建ての木造で、面積は新駅舎の1.5倍程であった[18]。 また、旧駅舎も開設当初は北母子里駅より若干大きい程度の平屋であったが、1956年(昭和31年)まで(時期不詳)に増改築されている[19]名羽線が開業すれば、当駅は乗換駅になる予定だった。

利用状況[編集]

1日の乗降客数

駅周辺[編集]

朱鞠内駅前。朱鞠内は豪雪地帯(1994年2月)

当駅ができる以前は湖畔駅近くの三股が朱鞠内の中心市街であったが、当駅がかなり離れた位置に設置されたため、駅の建設と共に多くが三股から移転して新市街が形成された。また駅構内の南北両端に接する敷地にはそれぞれ木工所が開設されて、特に北側の三津橋木工所は専用線が廃止された後も長く操業を続けていた。

駅前広場には「歓迎 道立朱鞠内湖公園」と記載された鉄製のアーチが設置されていた[17]

その他[編集]

  • 北海道内最大の人造湖である朱鞠内湖を擁す雨竜第一・第二ダム建設の際には、当線の延伸工事も重なったため当駅は大変に活況を呈し[16]、水没地域の伐採林材や建設資材の運搬のために臨時貨物列車が頻繁に増発された[5]。ダム建設完了とともに1949年(昭和24年)には宇津内駅での林材貨物積込も無くなって潮が引くように貨物便数も減り[5]、翌1950年(昭和25年)には機関支区が廃止となった[5]
  • 当駅はもともと夜間滞泊が設定されていたが、廃止時点での設定はなく、上下の最終列車は幌加内駅まで回送された後、営業列車として深川駅まで戻り、旭川運転所まで回送していた。

駅跡[編集]

朱鞠内駅跡地(2004年8月)

廃駅後しばらくは駅舎がバス待合所として再利用され、相対式ホームも残っていた。2000年(平成12年)初頭時点では駅舎は現役当時のままと言える状態であったが[21]、同年夏に跡地の再利用として全て解体され、跡地は「朱鞠内コミュニティー公園」となった。駅舎跡地にはバス待合所が新築され[22]、ロータリー内に駅名標レールの一部が移設されている。

また、2000年(平成12年)時点では駅跡の湖畔方にあった最初の踏切附近から左側に分岐する未成線名羽線の道床が残存しており[21]2010年(平成22年)時点でも同様であった[22]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
深名線
共栄駅 - 朱鞠内駅 - 湖畔駅

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ダム建設を行った雨竜電力㈱は王子製紙の傍系企業。
  2. ^ 母子里から現在の朱鞠内湖の中央を通って雨竜第一ダムの出口へ流れ、三股で雨竜川へ合流していた。
  3. ^ 1947年(昭和22年)撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)当駅裏土場から雨竜川の橋を渡ってダムの手前まで(往時より短縮されて)敷かれた軌道を確認することができる。ダムは1943年(昭和18年)から湛水を開始し、終戦を挟んで1947年(昭和22年)頃まで付帯工事が行われていた。なお、駅裏土場から雨竜川の対岸へ架けられていた橋は、ガソリンエンジン機関車に因んで「えんじん橋」と呼ばれたが(新幌加内町史)、その後1948年(昭和23年)に村道整備にあわせて村の管理となり、1955年(昭和30年)に上流側に位置を変えて架け替えられた(幌加内村史)。この村道が道道添牛内風連線を経て国道275号線となった現在もその名が引き継がれている。
  4. ^ 本来アイヌ語にはサ行音とシャ行音の区別が存在しない。そのため「シュマリナイ」と表記されることもある。本節ではサ行に統一して表記する。

出典[編集]

  1. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、224頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  2. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、25頁。ASIN B000J9RBUY 
  3. ^ a b c d 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 I』1998年10月 JTB編集・発行。
  4. ^ a b c d e f 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』847頁 1998年10月 JTB編集・発行。
  5. ^ a b c d e 新幌加内町史 2008年3月発行、P211。
  6. ^ a b 『北海道鉄道百年史 下巻』1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行。第5編資料/1年表。
  7. ^ 幌加内町史 P728。
  8. ^ 新幌加内町史 P213。
  9. ^ 新幌加内町史 P749。
  10. ^ a b 新幌加内町史 P614,615。なお羽幌側の曙-上流区間は、これに先行する1962年(昭和37年)4月22日に三毛別にて起工式がおこなわれた。
  11. ^ 新幌加内町史 P615。
  12. ^ 新幌加内町史 P597-598 。
  13. ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日) 
  14. ^ a b アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月8日閲覧。
  15. ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、86頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  16. ^ a b c d e f 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)76ページより。
  17. ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)206ページより。
  18. ^ a b 幌加内町史 1971年9月発行、P723。
  19. ^ 幌加内村史 1958年11月発行、P525。
  20. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
  21. ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)35-36ページより。
  22. ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)42-43ページより。

関連項目[編集]