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攀安知(はんあんち、? - 1416年(永樂14年))は、琉球の山北国・怕尼芝王統最後の王(在位:1396年(洪武29年)あるいは1401年(建文3年) - 1416年(永樂14年))、先代の珉の長男である。『中山世鑑』や『中山世譜』には「武芸絶倫」で「淫虐無道」と記されている。
『明史』に計14回の朝貢の記録が見えるが、中山王に比べて頻度が低く、北山の劣勢がうかがえる。
1416年に、台頭する佐敷の思紹・巴志親子と戦う。臣下の本部平原の裏切りもあり、居城の今帰仁城にて自刃した。
攀安知は「千代金丸」とよばれる譜代相伝の宝刀を持っていたが、没後、第二尚氏の手に渡った。