承察度
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承察度(しょうさっと、うふさと、生年不詳〜1398?)は、琉球の、南山王国の初代国王。
概要
承察度は、大里(うふさと)の当て字と考えられている。北山王国の怕尼芝と同様、親子数代で同じ名を襲名したと考えられる。
承察度は『明実録』に記されている名前で、それによると1380年に初めて明へ進貢したという。その後、1383、84、85年と続けて進貢し、1385年には明の皇帝より山南王として鍍金の銀印を下賜されている。その後も、何度か明へ進貢した。
叔父の汪英紫に王位を奪われ、朝鮮に亡命したとの説もある。
『李朝実録』によれば1394年9月9日、中山王察度の使者が、朝鮮に逃亡したという山南王子承察度の送還を求めている。また1398年2月16日には、南山の王であった温沙道なる人物が、中山に国を滅ぼされ追われたとして、配下15人と共に晋陽へ亡命してきたという。朝鮮王李成桂はこれを哀れんで衣食を配給した。同年4月16日には宮廷で拝謁させ、5月21日にも招いたが、10月15日に温沙道は死去した。この温沙道も、大里の当て字と考えられている。
中国側記録の承察度と、朝鮮側記録の承察度、温沙道が同一人物であるかはわかっていない。
関連項目