宮古島市民球場

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宮古島市民球場
Miyakojima Municipal Baseball Stadium
施設データ
所在地 沖縄県宮古島市平良字西仲宗根1574-1
開場 1992年
所有者 宮古島市
管理・運用者 宮古島市
グラウンド 内野:クレー舗装
外野:天然芝
照明 あり
使用チーム • 開催試合
オリックス・バファローズが春季キャンプ地として使用(1993年~2015年)
収容人員
-人
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積:13,353m²
両翼:97.6 m
中堅:122 m

宮古島市民球場(みやこじましみんきゅうじょう)は、沖縄県宮古島市平良の宮古島市多目的運動公園内にある野球場。宮古島市が運営管理を行っている。

プロ野球オリックス・バファローズが春季キャンプに使用していた。

歴史

1992年、当時の平良市平良市民球場(ひららしみんきゅうじょう)として開場。こけら落しとして2月29日横浜大洋ホエールズ中日ドラゴンズ戦が行われた。

1993年からオリックス・ブルーウェーブ(当時)の春季キャンプ地として使用されている他、3月には大学野球のキャンプにも使用されている。

2005年10月1日宮古島内の5市町村(平良市と宮古郡伊良部町上野村城辺町下地町)が新設合併し「宮古島市」となったのに伴い、現名称に改称した。

メインスタンド正面向かい側には、オリックスが1996年の日本シリーズを制し日本一に輝いたのを称える記念碑と、2005年12月15日に死去したオリックス元監督仰木彬を称える顕彰碑が、それぞれ建立されている。仰木の顕彰碑には彼の座右の銘「信汗不乱」が刻まれている。

しかし開場以来、財政難などから施設面の改善が進んでいない。屋内練習場は全面クレー舗装人工芝は敷設されておらず、野球専用のグラウンドも市民球場の1面しかない(但し隣接地にサブグラウンド1面あり)など周辺施設が手狭になりつつあることから、オリックスのキャンプは市内城辺地区にある宮古島市城辺総合運動公園と分散して実施する形式(城辺では二軍キャンプを実施)となっている。

市はこのうち、屋内練習場の全面人工芝化を2006年中に実施する予定だったが、同年9月に台風16号の襲来で練習場の設備が一部破損するなど被害を受け、着工が12月にずれ込んだ。また11月30日にはオリックスの金田義倫管理部長、小林晋哉育成部長が施設を視察したが、第二球場の整備やブルペンの拡張などが進んでいないことについて「14年間で要望が形になっていないことが多い」として市側に施設の改善を求めた。金田らは「宮古島で続けられるのが一番いい」としながらも、改善がなされなかった場合は2008年シーズン以降の撤退も示唆していた。

だが、その後も施設の改善は遅々として進んでおらず、2010年の春季キャンプでは、市民球場の外野部分に雑草が生えたままとなっているなど状態は粗悪で、オリックス・村山良雄球団本部長が「プロが使うグラウンドではない」と発言するなど、施設面の不備が指摘された。球団側は2010年2月13日に市に対し改善を要請したが、充分でない場合は2011年シーズン以降の撤退を再び示唆している。市側はこれを受け、これまで市職員が行っていたグラウンド管理を専門業者に委託するなど対策を開始している。

2014年8月、オリックス球団は2015年度の春季キャンプから、一軍の会場を宮崎市宮崎市清武総合運動公園野球場「SOKKENスタジアム」に移し、宮古島市民球場から撤退することを発表した。この時点では二軍については引き続き使用する予定と発表していた[1]

しかしそれから1年後の2015年8月24日、オリックス球団は2016年度の春季キャンプより二軍も宮崎に移転して一、二軍合同キャンプを行い、宮古島からは完全撤退することを発表した。
この際、オリックス・瀬戸山隆三球団本部長は「宮古島には大変お世話になったが施設の老朽化もあった。一、二軍合同でやれた方がチームのためになると思い、断腸の思いで宮崎に移ることになった」と説明している[2]

これにより、オリックス・ブルーウェーブ時代の1993年から始まった宮古島での春季キャンプは、23年で幕を閉じることになった。

主なエピソード

  • こけら落しとして行われた試合で先発した横浜大洋の投手・友利結(デニー友利)はこの島に縁の選手である。またその試合で中日・立浪和義が初ホームランを打ったことを記念して植樹がされた。
  • イチローがかつてオリックスに在籍していた頃、離島である宮古島のインフラは沖縄本島などと比較して立ち遅れている面が多かった。ある年の春季キャンプ、イチローは「宮古島はコンビニが無くて不便」と話したところ、これが各報道で大きく取り上げられた事から、オリックスが宿舎としているホテル内にコンビニエンスストアが開設され、以後もコンビニ大手のファミリーマートホットスパーが宮古島に進出した。またある年「携帯のつながりが悪い」と話したところ、携帯電話各社は島内の通信網を拡充した。一野球選手の発言力が、離島のインフラ整備に一役買った顕著な例といえる。
  • 仰木彬はオリックスのキャンプ期間中、練習終了後に市民球場から市内上野にある宿舎まで約12kmの道程を徒歩で帰るのを日課にしており、当時からそのルートは「仰木ロード」と呼ばれ親しまれていた。仰木の死後、ルートの正確な距離を計測したところ、奇しくも命日と同じ「12.15km」であることが判明した。これを機に、市やオリックス宮古島協力会の関係者は「仰木さんは島にとっての恩人。彼に因んだものをこれからも大切にしていきたい」として、市の正式な観光名所として登録する方向で検討を進めている。

施設概要

  • 両翼:97.6m、中堅:122m
  • 内野:黒土、外野:天然芝
  • 収容人数:-人
  • 照明設備:あり
  • スコアボード:パネル式 

市民球場周辺の主な施設

交通

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ オリックス、宮古島キャンプ撤退/来年から宮崎に移転 球場の老朽化など理由/2軍は継続宮古毎日新聞2014年8月26日 12月30日閲覧)
  2. ^ オリックス 宮古島キャンプに幕 1、2軍とも宮崎でスポーツニッポン2015年8月24日)