宝井馬琴
宝井 馬琴(たからい ばきん)は、講談師の名跡。寶井 馬琴とも表記。初代から六代目まで存在する。三代目までは東流斎。
初代 東流斎馬琴
本名:吉田 常吉、1801年(享和元年) - 1857年10月6日(安政4年8月19日)。
- 前身は江戸神田版木屋の倅とも、備前の浪人とも。2代目森川馬谷の弟子。曲亭馬琴に因んでこの名を名付けた。東京で人気を取り晩年大坂に移り多くの弟子を育てた。文才が優れ博識であった。大坂で客死している。2代目は娘婿。
- 墓所は東京都台東区鳥越二丁目信入院、戒名は釈教道居士。
2代目 東流斎馬琴
- 初代東流斎馬琴の娘婿で高弟の弟子。最初は初代宝井琴調という。通称「琴調馬琴」。
- 墓所は初代と同じ信入院。
3代目(この馬琴を代外する場合もある)
力士伝を得意とした。
4代目
本名:小金井 三次郎(こがねい さんじろう)、1853年2月4日(嘉永5年12月26日) - 1928年(昭和3年)12月27日。享年76。
- 3代目は実の父。12歳で初高座。父死後初代西尾麟慶の門下で慶豊、小麟慶、調窓を経て1899年(明治32年)に父の名である2代目琴凌から襲名し真打。軍談・文芸物の名手で名物男、渾名(あだな)を「雪降りのチンコロ」。真打昇進間もない頃の様子を夏目漱石の「硝子戸の中」の中でもこの4代目馬琴のことが書かれている。また永井荷風も絶賛している。
5代目
本名:大岩 喜三郎(おおいわ きさぶろう)、1903年(明治36年)11月9日 - 1985年(昭和60年)10月26日。
- 1903年11月、愛知県内海町に生まれる。
- 1925年、4代目宝井馬琴に入門し宝井琴桜。後に宝井琴鶴に改名。
- 1930年、異例の早さで真打昇進。
- 1934年1月、5代目宝井馬琴を襲名。
- 1972年、文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。
- 1978年、芸術選奨文部大臣賞受賞。
- 1985年10月26日死去。墓所は文京区吉祥寺。戒名は「文徳院一公琴談居士」。
若いときは2代目大島伯鶴の影響を受け同時期に活躍した講釈師、5代目一龍斎貞丈は従兄弟に当たる。昭和二十年代には参院選に立候補し、1971年には皇居内で皇族方に口演した。独特の口調から「糞詰まり」という悪口があった。
6代目
6代目 宝井 馬琴(たからい ばきん、1935年(昭和10年)9月13日 - 2015年(平成27年)9月25日[1])は、日本の講談師。静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。本名 山梨務。
1959年、明治大学文学部を卒業、学生時代にはラジオ東京の「しろうと寄席」に出演経験がある、5代目宝井馬琴に入門。3代目琴調を名乗る。1966年、真打に昇進し、4代目琴鶴に改名。1976年、1984年、文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。1987年、6代目宝井馬琴を襲名。1988年、浅草芸能大賞奨励賞を受賞。1991年、文化庁芸術祭賞受賞。1998年、芸術選奨文部大臣賞を受賞。1999年、紫綬褒章を受章。また、講談協会副会長などの要職を歴任した。
「埼玉英傑伝」「いま甦る名将のはなし」などの著書もある。ゲーム「ジャンピングフラッシュ!」のナレーションも担当。
脚注
- ^ 講談師の宝井馬琴さん死去 「修羅場読み」で人気 朝日新聞 2015年10月8日閲覧