子どもは判ってくれない

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子どもは判ってくれない
著者 内田樹
発行日 2003年10月9日
発行元 洋泉社
ジャンル エッセイ、評論
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 並製本
ページ数 254
コード ISBN 978-4896917598
ウィキポータル 文学
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子どもは判ってくれない』(こどもはわかってくれない)は、内田樹のエッセイ集、評論集。

概要

2003年10月9日、洋泉社より刊行された。表紙には「COMMENT SE COMPORTER EN ADULTE」と仏語のタイトルが書かれてある。装丁は坂本志保。2006年6月9日、文春文庫として文庫化された[1]。文庫版の装丁も坂本志保。文庫化に際して、論文が一つ、エッセイが一つ追加収録された(後述)。

安齋肇による文庫本表紙のイラストは、映画『大人は判ってくれない』の宣伝ポスター(野口久光画)を模して描かれたものである[注 1]

本書に収められた文書の多くは、著者のブログ「内田樹の研究室」からとられている。

本書の概要を内田はまえがきで次のように説明している。「私は『大人の思考と行動の専門家』であるが、それは私自身が『大人って何だろう?』という問いにこだわりがあって、これまで長い間をかけてそれを集中的に研究してきたからである。(中略) この本は、そのような『大人文化の専門家』による『敵情視察レポート』としてお若い方々にお読みいただけたらと思う」[2]

内容の一部

たいへんに長いまえがき
オルテガ=イ=ガセーの『大衆の反逆』の一節が引用されている。本エッセイは2004年に英語に翻訳され『Kyoto Journal』に掲載された[3]
教養喪失と江口寿史現象
すすめ!!パイレーツ』の登場人物がダウンジャケットを着ているのを見つけたとき、内田は連載誌の『少年ジャンプ』をつかんで妻に「江口寿史は天才だ!」と興奮して演説したという[4]
本が読む
東京都立日比谷高校雑誌部の「超絶生意気高校生」たちの思い出話、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』、エマニュエル・レヴィナスに出会ったときのことなどが語られている。本エッセイは『態度が悪くてすみません』(角川書店、2006年4月)に再録された。
漢文がなくなる不幸
私立大学入試の国語の出題範囲から「漢文」が消えつつあることについて、内田は次のように述べる。「私が今、志ん生を聴いて笑えるのは、かろうじて受験勉強のおかげである。『負担軽減』されなくて、ほんとうによかった」[5]
オリジナルとコピー
内田はつねづね自身のホームページに書いているものについては「コピーフリー」「剽窃フリー」「改竄フリー」を宣言している[6]。本エッセイもテクストのコピーや引用の問題が論じられている。
「セックスというお仕事」と自己決定権
初出は『応用倫理学講義5 性/愛』(岩波書店、2004年、金子淑子編)。文春文庫版のみに収録
熱く戦争を語ってはいけない
廣松渉の主張、弘兼憲史辺見庸朝日新聞(2002年4月17日付)に寄せたコメントなどが論じられている。有事法制推進論者である弘兼の「私は、日本を武力攻撃する可能性のある国は、今でも周辺に複数あると思っている。いざという時のために準備をしておくのは当然ではないか」という言葉が引用されている[注 2]
「目には目を、歯には歯を」の矛盾
神奈川大学教授の尹健次が朝日新聞(2002年5月5日付)に寄稿した一文「戦争への反省こそ日本の道」を巡る論考。日本国憲法第9条第1項は1928年にパリで締結された不戦条約第1条の文言の「再録」である、という説を内田はとる[注 3]
動物園の平和を嘉す
初出は「内田樹の研究室」2005年11月17日付の投稿記事[8]文春文庫版のみに収録。上記不戦条約第1条がここでも引用されている[注 3]

脚注

注釈

  1. ^ 『大人は判ってくれない』(1959年)はフランソワ・トリュフォー監督の最初の長編映画。なお「大人は判ってくれない」という邦題は原題(『Les Quatre Cents Coups』。「400回の殴打」という意味)と縁もゆかりもない。
  2. ^ これに対する内田の見立ては以下のとおり。「弘兼がいちばん望んでいるのは、有事法制に反対している市民運動や左翼知識人の言説が『間違い』であったことが満天下に疑いの余地なく明らかにされることである。」「彼の『正しさ』を論証するもっとも雄弁な事実とは、まさに『何の備えもない日本が外国にぽぼろぼろに蹂躙されること』以外にない」[7]
  3. ^ a b 不戦条約第1条(和文)は以下のとおり。「締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス」

出典