大阪市立岸里小学校

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大阪市立岸里小学校
大阪市立岸里小学校(2016年11月)
地図北緯34度38分02秒 東経135度29分31秒 / 北緯34.63375度 東経135.49197度 / 34.63375; 135.49197座標: 北緯34度38分02秒 東経135度29分31秒 / 北緯34.63375度 東経135.49197度 / 34.63375; 135.49197
過去の名称 西成郡玉出第二尋常小学校
大阪市玉出第二尋常小学校
大阪市岸里国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
設立年月日 1913年11月19日
創立者 西成郡勝間村
共学・別学 男女共学
学校コード B127210002588 ウィキデータを編集
所在地 557-0054
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪市立岸里小学校(おおさかしりつ きしのさとしょうがっこう)は、大阪府大阪市西成区にある公立小学校

沿革[編集]

地域の市街地化に伴う児童数増加により、西成郡玉出尋常高等小学校(現在の大阪市立玉出小学校)より分離する形で、当時の西成郡玉出町で2番目の小学校として1913年に開校した。開校当初は現在の大阪市西成区千本南1丁目15番付近に校舎があったが、1924年に現在地に移転している。

1925年には大阪市への編入により、大阪市玉出第二尋常小学校と改称している。大阪市編入後の1927年には校区変更をおこない、従来の今宮第五尋常高等小学校(現在の大阪市立橘小学校)校区だった西成区皿池町(現在の岸里1丁目および潮路1丁目の大半、旧西成郡今宮町)を校区に編入している。

1941年国民学校令により大阪市岸里国民学校に改称した。太平洋戦争の戦局悪化により1944年学童集団疎開がおこなわれることになり、西成区の各国民学校は大阪府南部(泉州地域)および和歌山県へと疎開先が指定された。岸里国民学校では当初和歌山県海南市への疎開を実施したが、疎開先も危険になったとして1945年には滋賀県佐山村(現・甲賀市)への再疎開が実施されている。

1945年3月13日大阪大空襲では、校舎が半焼する被害を受けた。

学制改革により、1947年に大阪市立岸里小学校へと改称している。1969年には地域住民の要望により、従来の校区だった天神ノ森2丁目を大阪市立晴明丘小学校校区へと変更している。

年表[編集]

通学区域[編集]

  • 大阪市西成区 岸里1丁目(一部)、岸里2丁目、岸里3丁目、岸里東1丁目(一部を除く)、岸里東2丁目、潮路1丁目(一部を除く)、潮路2丁目(一部を除く)、千本北1丁目(一部)、千本中1丁目(東半分)、千本南1丁目(東半分)、天下茶屋3丁目(一部)、玉出東1丁目(一部)、玉出中1丁目(一部)。
卒業生は基本的に大阪市立成南中学校に進学する。

出身者[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 学校倒壊百四十三、学童死傷二千四百人『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p230 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]