大船渡市立大船渡小学校

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大船渡市立大船渡小学校
地図北緯39度03分25.78秒 東経141度43分08.92秒 / 北緯39.0571611度 東経141.7191444度 / 39.0571611; 141.7191444座標: 北緯39度03分25.78秒 東経141度43分08.92秒 / 北緯39.0571611度 東経141.7191444度 / 39.0571611; 141.7191444
過去の名称 大船渡小学校
大船渡尋常小学校
大船渡尋常高等小学校
大船渡国民学校
大船渡町立大船渡小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大船渡市
併合学校 下船渡小学校
校訓 明るく・正しく・強く
設立年月日 1873年7月
共学・別学 男女共学
学校コード B103220300021 ウィキデータを編集
所在地 022-0002
岩手県大船渡市大字大船渡町宇笹崎67番1号
外部リンク 公式サイト(大船渡市ホームページ内)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大船渡市立大船渡小学校(おおふなとしりつ おおふなとしょうがっこう)は、岩手県大船渡市大船渡町ある市立小学校

沿革

  • 1873年明治6年)7月 - 大船渡小学校創立。
  • 1886年(明治19年)5月 - 明治7年8月創立の下船渡小学校を統合し、大船渡尋常小学校に改称、現在地に移転。
  • 1898年(明治31年)9月 - 平屋建てまさ葺きの校舎新築。
  • 1912年(明治45年)4月 - 高等科を併設し、大船渡尋常高等小学校と改称。
  • 1923年大正12年)5月 - 校地・校庭拡張、木造2階建校舎の新築。
  • 1941年昭和16年)4月 - 国民学校令により、大船渡国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、大船渡町立大船渡小学校と改称。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 大船渡町の市制施行により、大船渡市立大船渡小学校と改称。
  • 1958年(昭和33年)3月 - 鉄筋屋内体育館の竣工。
  • 1965年(昭和40年)3月 - 鉄筋コンクリート3階建て18教室を増築。
  • 1968年(昭和43年)1月 - 完全給食の実施。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 大船渡市は、同校の2校分離を決定。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 大船渡北小学校が分離独立。
  • 1997年平成9年)8月 - 耐震補強工事の竣工、コンピュータ室の設置。
  • 1998年(平成10年)3月 - 東側校舎改築工事の竣工。
  • 2011年(平成23年)3月11日 - この日午後に発生した東日本大震災による津波で、校舎1階の高さ2mまで浸水する被害が出た[1]
  • 2017年(平成29年)7月12日 - 大船渡中学校と合同で、地震と津波を想定した合同避難訓練を行った[1]

通学区域

  • 明神前団地、明神前、田中、川原、須崎、北笹崎、南笹崎、浜町、永沢、平一区、平二区、平三区、宮ノ前、下船渡、野々田団地[2]

進学先中学校

東日本大震災発生時の対応等

  • 2011年3月11日午後2時46分頃、東日本大震災発生し、児童らは校庭に避難していたが、更に68mの高台にある大船渡中学校まで二次避難し、その夜は全ての教職員と共に大船渡中学校体育館で過ごした。その後、大船渡町内6カ所の避難所や自宅・親戚等の家を訪ねて児童の安否確認を行い、4日後に268名の全員無事を確認することができた[1]

学校周辺

  • ツルハドラッグ大船渡笹崎店
  • 国道45号
  • 南笹崎地域公民館

アクセス

脚注

  1. ^ a b c 大船渡小学校の防災教育の取り組み - 元大船渡小学校々長による取り組み
  2. ^ a b 大船渡市立小中学校の通学域をご案内します - 大船渡市・2021年4月2日更新
  3. ^ 碁石線時刻表 - 岩手県交通

外部リンク