埴原和郎
表示
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1927年8月17日 日本福岡県北九州市 |
死没 |
2004年10月10日 (77歳没) 日本京都府京都市 |
出身校 | 東京大学 |
子供 | 埴原恒彦(解剖学者) |
学問 | |
研究分野 | 人類学(自然人類学) |
研究機関 | 札幌医科大学、東京大学、国際日本文化研究センター |
学位 | 理学博士 |
埴原 和郎(はにはら かずろう、1927年〈昭和2年〉8月17日 - 2004年〈平成16年〉10月10日)は、日本の自然人類学者。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。
経歴
[編集]1927年、福岡県北九州市で生まれた。明星中学校、旧制成蹊高等学校を経て、東京大学理学部人類学科に進学した。同大学大学院(旧制)を修了[1]。1958年、学位論文『日本人及び日米混血児乳歯の研究』を東京大学に提出して理学博士号を取得[2]。
1958年、札幌医科大学法医学教室助教授に就いた。1972年、東京大学理学部人類学教室教授となった。1984年からは東京大学総合研究資料館館長を兼任(1985年まで)。1987年に国際日本文化研究センター教授となり、同年は東京大学教授も兼任した。翌1988年、東京大学を定年退官。1993年には国際日本文化研究センターを定年退官し、名誉教授となった。その後は国際高等研究所副所長・学術参与・顧問、神戸女学院理事を務めた。
2004年10月10日、肺がんのため京都市の入院先で死去[3]。
受賞・栄典
[編集]研究内容・業績
[編集]専門は自然人類学で、日本人の「二重構造モデル」を展開した事で知られている。
- 埴原コレクション
かつて勤務していた東京大学総合研究資料館に「埴原コレクション」として(1)歯牙石膏印象コレクション(6000点以上)、(2)現代日本人頭骨計測データが残されている[4]。
家族・親族
[編集]著作
[編集]単著
[編集]共編著
[編集]外部リンク
[編集]- 「追悼文 埴原和郎先生」河内まき子PDF
脚注
[編集]- ^ 「埴原和郎先生」には1961年に大学院を修了とあるが、1958年の学位取得とどちらが正しいのかは不明。
- ^ CiNii(学位論文)
- ^ 埴原和郎氏死去 国際日本文化研究センター名誉教授共同通信・共同ニュース2004年10月12日
- ^ 埴原和郎と人類学:標本資料報告からのメッセージ(諏訪元)
- ^ 26頁に座散乱木遺跡について言及があり、「更に検証の要ありと認む」としている。