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国立新美術館

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座標: 北緯35度39分54秒 東経139度43分35秒 / 北緯35.66500度 東経139.72639度 / 35.66500; 139.72639

国立新美術館
The National Art Center Tokyo
地図
施設情報
専門分野 美術館
管理運営 独立行政法人国立美術館
開館 2007年(平成19年)
所在地 東京都港区六本木七丁目22番2号
プロジェクト:GLAM
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国立新美術館(こくりつしんびじゅつかん)は、東京六本木にある美術館である。日本で5館目の国立美術館として、2007年平成19年)1月に開館した。

概要

文化庁国立新美術館設立準備室と独立行政法人国立美術館が主体となって東京大学生産技術研究所跡地に建設された美術館である。国立の美術館としては1977年昭和52年)に開館した国立国際美術館以来、30年ぶりに新設された。延床面積は日本最大で、これまで最大とされていた大塚国際美術館の約1.5倍に及ぶ。

独立行政法人国立美術館に所属している中で唯一コレクションを持たない為、英語名は収蔵品を持つのが通常であるミュージーアムではなくアートセンターを用い、「ナショナルアートセンター・トウキョウ THE NATIONAL ART CENTER-TOKYO」を名乗っている。

コンセプトを「森の中の美術館」としており、設立目的を展覧会の開催・情報収集およびその公開・教育普及としている。また、館内にはミュージアムショップ・レストラン・カフェなどが併設されている。

黒川紀章設計の美術館としては最後のものとなった。

沿革

背景

公募団体主導の構想

この美術館の構想はそもそも、従来は公募展のために東京都美術館を使用してきた日展ほかさまざまな美術団体(公募団体)のあいだで、作品出展数に比して展示できる面積の狭い東京都美術館に対する不満と、新たな展示スペースへの要望が高まった結果生まれたものだった。

その際、ではなく、が全国的な美術団体のための展示スペースを整備すべきとの意見が出て、美術家や公募団体が文化庁や政党、各地方の国会議員に働きかけた結果、1995年以降、各公募団体の代表作家たちや美術評論家を中心に、国立の新美術展示場建設構想の調査がはじまる[1]。場所は六本木の東京大学生産技術研究所(駒場に移転)の跡地があてられ、建設費は380億円を予定していた。当初はナショナル・ギャラリー(仮称)と呼ばれ、日本の芸術文化の育成・国際的な芸術情報発信拠点としての役割が期待されていた。活動内容は複数の公募展の同時並行開催と、新聞社などの主催の大規模企画展のための会場貸しとされ、美術品コレクション学芸員は置かない方針だった。

批判

現在、日展はじめ公募団体は作家の技術を磨く場として機能してはいるが、世界の先端の美術(主に、ニューヨークを中心としてアメリカヨーロッパなどの「アート・ワールド」から発信される現代美術)の動向と、日本の公募団体の作風や創作のバックとなる思想の有無には相当のずれが見られ、近年では公募団体から世界的に注目される作家は登場していない。

ほかに、そもそも公募団体側も国側も新美術館を通して何を実現したいのか、という展望や戦略がないまま、箱の建設のみを進めていたという、ハード面のみの重視に対する批判もある[2]。これに関し、ナショナル・ギャラリーという名称になると、日本国外から来る観光客が、ワシントンD.C.のナショナルギャラリーやロンドンのナショナルギャラリーと同様の施設と勘違いして来館する恐れがあるという批判を受けて「ナショナル・ギャラリー(仮称)」の名称は無くなった。名称を公募した結果「国立新美術館」という名称に決定した。また、外国から美術品を借りる際に、受け入れる学芸員が必要なことや、独自の展覧会も開催すべきだとの指摘を受け、数名の学芸員を置くことになった。

  • ロンドンやワシントンのナショナル・ギャラリーは、貸し展示場という意味のギャラリーではなく、いずれも膨大な美術品を所蔵する国立美術館であり、研究員・展示技術者・修復技術者・外部教育担当者など有能なスタッフを抱えている。常設展だけで充実した内容を持つほか、コレクションと研究実績の力をバックに世界中から美術品を借り集めて、ある作家についての代表作のほぼ全てを集めた決定版的な企画展も開くことができる。

一方、収蔵品を持たず、企画展や貸会場に特化した施設という特徴は継続している。しかし、そもそも博物館(美術館を含む)とは資料の収集保管、調査研究、展示の3機能が三位一体となった施設なのであり、美術品の収集保管という基本機能を欠如した国立新美術館が「美術館」と名乗るのは不当である、と批判される。また、国立新美術館が成功することによって逆に、「美術館は作品の収集を行わずとも、観客動員さえできればよいのである」といった認識が強まり、それによって地道な収集活動を行っている美術館の活動が圧迫されるという危惧もある。

開館後の課題

東京都美術館で開催してきた公募団体展や首都圏の公立美術館で開かれてきた企画展のうち、かなりの数が移動することになった[3]。美術館ができた以上、各公募団体が新美術館でどのような展示を行うのか(団体以外の人々への案内・美術鑑賞教育、これまでの絵画や彫刻に限らない作品の参加の可否)、美術館やその学芸員は各公募団体とどのように連携し意味のある活動をするのか、が問われることになる。

また、新美術館の重要な役割として、国内各地・国外の、過去・現在・将来に至るあらゆる展覧会に関する図録などの情報を収集・集積・研究し、来館者やウェブサイト訪問者に公開する情報収集・公開機能というものがある。図録・研究書類はライブラリに収められ来館者も閲覧でき、現在開催中や近い将来の展覧会に関しては、ライブラリに併設された「コモンズ(共有地)」という名の場所でポスター閲覧・チラシ集めなどの情報収集ができる。現在、日本の展覧会カタログを過去に遡って網羅的に収集しており、既に日本では最も多く展覧会カタログを所蔵している[4]

建築概要

六本木ヒルズ森タワーから望む国立新美術館
国立新美術館 看板
国立新美術館 別館(旧 歩兵第三連隊兵舎)
  • 設計― 日本設計黒川紀章
  • 敷地面積― 30,000m²
  • 延床面積― 47,960m²
  • 最高所― 32.5m
  • 所在地― 〒106-0032 東京都港区六本木7-22

裏側は、同時に行われる複数の公募展の作品搬入・開梱・そして審査員による審査などを円滑に行えるよう、充実したトラック用プラットフォーム、バックヤード、環境の良い審査会場、審査員控室を持つ。

また表は、緑の広場と全面ガラス張りの明るい外観が観客を迎える。

前庭に歴史的建造物で二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎が一部分保存される。第二次世界大戦後は東京大学生産技術研究所等として使われていた。研究所が駒場に移転し、取壊し予定であったが、保存要望の声に配慮し、一部分を残したものである。

なお、「新」の文字をイメージし赤い直線で模られたシンボルマークは、アートディレクター佐藤可士和が作成。

交通アクセス

近隣は、六本木ヒルズ森美術館や、泉ガーデンタワー泉屋博古館分館、防衛庁跡地に建設された東京ミッドタウンに移転したサントリー美術館など、さまざまな美術館が集積することとなる。

関連項目

脚注

  1. ^ 国立新美術館とは何か? (美術ジャーナリスト:藤田一人)
  2. ^ アートゲノム 第14回〜国立新美術館が建つと誰が喜ぶのか? --nikkei BPnet
  3. ^ 業界に影響必至 国立の新美術館(2004年5月20日付 朝日新聞(東京本社)夕刊「マリオン」から)
  4. ^ 月刊展覧会ガイド 2008年12月号

外部リンク