国民民主党 (エジプト)
国民民主党 الحزب الوطنى الديمقراطى Al-Hizb al-Watani al-Dimuqrati | |
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成立年月日 | 1978年10月2日 |
解散年月日 | 2011年4月16日 |
解散理由 | 裁判所による解散命令 |
本部所在地 | エジプト、カイロ |
政治的思想・立場 | アラブ社会主義 |
機関紙 | Mayo、Islamic Liwa |
国際組織 | 社会主義インターナショナル(1989-2011) |
国民民主党(アラビア語:الحزب الوطنى الديمقراطى, Al-Hizb al-Watani al-Dimuqrati 英語:National Democratic Party, NDP)は、1978年から2011年4月まで存在したエジプトの政党。ホスニー・ムバーラク政権の政権与党であり、エジプト社会のあらゆる立場を内包する包括政党であり、事実上の独裁政党であった。マスメディアにもその支配力は及んだ。
歴史
- 1976年 アラブ社会主義連合の中道派が政策集団(「アラブ社会主義エジプト」)を形成。
- 1978年 アンワル・アッ=サーダート大統領、国民民主党の創設を宣言し、党首に就任。アラブ社会主義エジプトのメンバーの大半が国民民主党に移籍。
- 1981年 サーダート党首が暗殺される。これに伴い、ムバーラクが党首に就任。
- 1989年 社会主義インターナショナル加盟
野党転落と解散
- 2011年、エジプトにおける民主化運動により、2月にムバーラク大統領の次男ガマールをはじめとする党幹部を更迭[1]。多くの党員が離党して、「新エジプト青年党」を結成した[2]。4月16日には裁判所より解散命令が下され資産も没収されることになった[3]。
イデオロギー及び政策綱領
- アラブ社会主義
- 政策は国民の福祉、宗教的価値・伝統・慣習との協調、イスラーム法尊重、民主化・国民の参加、経済・社会・政治的発展。
- 中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟していた(2011年の反政府デモにおける武力行使が問題視され、会員資格を停止[4])。
党首
- アンワル・アッ=サーダート (1978-1981)
- ホスニー・ムバーラク (1981-2011)
- アフマド・シャフィク (2011)
機関紙
- Mayo
- Islamic Liwa
関連項目
脚注
- ^ “ムバラク氏、権限棚上げ案…軍首脳ら検討”. 読売新聞. (2011年2月6日) 2011年4月17日閲覧。
- ^ “ムスリム同胞団が政党化検討 エジプトで選挙へ動き”. 朝日新聞. (2011年2月15日) 2011年4月17日閲覧。
- ^ “旧ムバラク与党に解散命令=資産も没収-エジプト”. 時事通信. (2011年4月16日) 2011年4月17日閲覧。
- ^ [1]社会主義インターナショナル