吉田六左ェ門
前衆議院議員 吉田 六左エ門 | |
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生年月日 | 1939年12月15日(84歳) |
出身地 | 新潟県新潟市関屋田町 |
出身校 | 早稲田大学理工学部建築学科卒業 |
学位・資格 | 学士・一級建築士 |
前職 | 新潟県議会議員 |
所属委員会 | 国土交通省大臣政務官 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 |
比例北陸信越ブロック (新潟1区で落選) |
当選回数 | 3回 |
所属党派 |
自由民主党 (旧亀井派→無派閥→伊吹派) |
党役職 |
新潟県支部連合会常任顧問 新潟県第一選挙区支部長 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館316号 |
ウェブサイト | 吉田六ざえもんのホームページ |
吉田 六左エ門(よしだ ろくざえもん、1939年(昭和14年)12月15日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の前衆議院議員(比例北陸信越ブロック選出、3期)。
来歴
1939年12月15日、新潟県新潟市関屋田町生まれ。父は元新潟県議会議員の吉田吉平。新潟県立新潟高等学校を経て早稲田大学理工学部建築学科卒業。
土建会社経営をしながら、1983年(昭和58年)新潟県議会議員選挙で初当選、1987年(昭和62年)の同議会議員選挙でも当選して二期務める。
1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙で新潟1区から自民党公認で出馬し当選。2000年の総選挙で再選を果たす。2001年(平成13年)1月に第二次森改造内閣で国土交通大臣政務官に就任。その後は2001年(平成13年)5月に自民党の副幹事長及び政調国土交通部会長代理、 2002年(平成14年)小泉改造内閣で総務大臣政務官に就任するも、2003年(平成15年)の総選挙では落選した。
2005年(平成17年)の総選挙出馬の際に旧亀井派を退会。選挙では、小選挙区では西村智奈美に敗れるが比例区で復活当選。当選後は無派閥のまま、前幹事長武部勤が中心となり結成した「改革フォーラム 新しい風」(武部グループ)に、「助言役」の特別会員として参加していた(特別会員はグループのメンバーにはカウントされない)。
2006年(平成18年)9月27日、安倍内閣の国土交通大臣政務官に就任。10月21日、後援会の集まりにおいて政務官就任の報告と合わせて伊吹派への入会の意向を報告し、10月29日に同派へ入会した。
2007年には婿養子の吉田孝志が新潟市議選に自民党公認で出馬し当選している。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬。公明党の推薦も受けるも落選した。[1]
トラック業者の業界団体道路運送経営研究会から献金を受けている。[2]
建築学科卒業、土建会社経営という来歴から、国土交通分野に対し積極的に取り組んでいる。衆議院の国土交通委員会や国土交通大臣政務官を経験した。
所属する議員連盟
不祥事
森内閣、小泉内閣、安倍内閣での閣僚規範違反
吉田が森内閣の国土交通大臣政務官在任時、小泉内閣の総務大臣政務官在任時、および、安倍内閣の国土交通大臣政務官在任時に、新潟県新潟市の学校法人の役員を兼務したうえ、学校法人から報酬を受け取っていたことが2006年に発覚した。このような行為は「大臣規範」に違反しており、吉田の事務所は大臣規範違反を認めて謝罪した。大臣政務官の辞任や議員辞職は行わないことを明らかにした。なお、安倍内閣で閣僚規範に違反した者は他にも、山本有二、松岡利勝、長勢甚遠、溝手顕正らがいる。
日本アムウェイへの関与
2008年10月、マルチ商法業者との関りがあるとして、自民党の野田聖子、佐藤ゆかり、猪口邦子などと共に名前があがった。[1]
中でも吉田はディストリビューターであった事が発覚している。
著作
- 2003「政務官日誌(15)総務省 政治の原点は、独立した地方自治」『時評』45(3)(通号480)、93~95ページ。
脚注
- ^ 衆院選小選挙区 自民128人推薦 2009年8月7日公明新聞
- ^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm