剣闘士

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剣闘士
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剣闘士(けんとうし、グラディアトル、正しくは、グラディアートル, :Gladiator, (英語訛り) グラディエイター)は古代ローマにおいて見世物として剣闘士試合で戦った戦闘員。名前の由来は、剣闘士の一部がローマ軍団の主要な武器でもあったグラディウスと呼ばれる剣を使用していたことから来ている。

共和政ローマローマ帝国の多くの都市にはアンフィテアトルム(円形劇場)が存在しており、そこで剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられた。また人工池などを用いて模擬海戦が行なわれることもあった。325年コンスタンティヌス1世は剣闘士競技を禁止したが、実際には500年頃まで各地で続けられた。

古代ローマの剣闘士

剣闘士競技の起源については、はっきりしたことはわかっていない。従来のエトルリア人の文化をローマが採用したという説は、現在ではあまり支持されていない。 帝政期に入るまでは、故人の哀悼のためにその関係者によって主催されていた。記録上最も古い剣闘士競技は紀元前264年にローマのマルクス・ユニウス・ブルトゥスとデキムスの兄弟が父の葬儀に際してボアリウム広場で行ったものである。

剣闘士となるのは主に戦争で捕獲した捕虜や奴隷であったため、剣の奴隷、即ち剣奴ともよばれた。他、犯罪者が刑罰として就く場合や、自ら志願して剣闘士となる者もいた。奴隷が剣闘士になる場合、剣闘士養成所(ルドゥス)の教官によって優秀な闘士になりそうな人材を市場で買い集められ、長期に渡って訓練を施してから試合に出場した。剣闘士養成所では訓練生は教官によって、行進の仕方から武器の扱い、足技、突き刺した剣でどうやって動脈を見付けるかなどを指導され、徹底的にしごかれることになる。木製の剣を手に練習し、藁人形を相手に殴りかかる練習や訓練生同士の練習試合で経験を積む。訓練生の宿舎は厳重に監視され、夜は鍵を掛けるなどして閉じ込められたが、食事については大麦オートミールなど脂肪を増やして出血を防ぐための高タンパク食を与えられるなど配慮されていた(ただし当時のローマ市民の主食は小麦であり、大麦は主に家畜の飼料用である)。

西暦80年頃のローマには三つの剣闘士養成所があり、一つは地下通路で円形闘技場に繋がっていた。基礎的な訓練を終えた新人剣闘士は、俊敏さ、強さ、体格、熟練度に応じて五つのタイプに分けられた。トラキア剣闘士、サムニウム剣闘士、網闘士、魚剣闘士、追撃闘士である。また、訓練についていけない落伍者は闘獣士になった。剣闘士は自身が所属する剣闘士養成所の教官の手配で各地の闘技場へ巡業に出た。剣闘士は消耗品ではなく、巡業で金を稼ぐための重要な資産でもあるため、教官は剣闘士を頻繁に試合に出すようなことはしなかった。戦いは公正に、そして観客が楽しめるようにマッチングされた。

かつては試合が始まれば剣闘士たちはどちらか一方が死ぬまで闘ったと考えられていたが、実際には必ずしも死ぬまで戦わされるということもなく、助命されることが多かった(詳細は後述)。そして無事生き残り、引退した剣闘士の中には、訓練士(ラニスタ)として剣闘士を鍛える側にまわる者もいた。彼らにはその証として木剣があたえられた。 これは訓練士に限った話ではなく、訓練中の剣闘士は反乱と試合以外での怪我を防止するため木製の武器を用いており、本物の武器は与えられなかった。

剣闘士は競技場で観衆の喝采を浴びる対象ではあり、多額の報酬を受けたが賤業とみなされていた。従って、たとえ解放されても名誉あるローマ軍団の兵士になることは出来なかった。もっとも自ら志願した剣闘士は、言わば趣味で試合を行うのであり職業としてはないので、この限りではない。極端な例としてコンモドゥスは皇帝でありながら自ら剣闘士として試合に出ている(もっとも剣闘士の真似事をしたのは、コンモドゥスのスキャンダルのひとつであるが)。但し、 ポエニ戦争などのような非常時には、剣闘士を徴用して部隊を編制した場合もあった。また、前100年頃から、新兵訓練には剣闘士養成所の教官が役に立つという考えから、軍の指揮官たちに雇われて戦闘技術を歩兵に教授する教官も現れた。

剣闘士の試合

ジャン=レオン・ジェローム『Pollice Verso〈指し降ろされた親指〉』 観客が親指を下に指すのは、負けた剣闘士の処刑を意味する。

剣闘士競技の主催者の趣向や野心によって、残虐度や物珍しさ、そして血液の量は増減したが、一般的には今日考えられているようなルールのない残虐ショーではなかった。

一回の興行では二十試合程度の試合が組まれ、死刑囚や闘獣士と猛獣との戦いは午前に、剣闘士同士の戦いは午後に予定された。剣闘士競技には興行の側面があったため、前日には宴会が開かれて市民たちとの交流があり、当日には最初にパレード用の兜と刺繍したマントを身につけた剣闘士の入場式があった。

剣闘士同士の試合は10分から15分ほどで決着がついた。剣闘士の名前が呼ばれ、武器の威力を確かめたのち、二人の審判員がいる闘技場の中央に進み出ることになる。試合は相手を殺すか負傷させるかして無力化させるとそこで終了になった。試合を終わらせたければ人差し指を高々と上げるか、盾を放り投げると「降伏」の意思表示になり、降伏した相手を傷つけるのは卑しい行為とされた。

そして決着がついた後、試合の敗者については観客が助命か処刑かを選択できた。敢闘したとして助命するなら親指を上に、見苦しい負け方として処刑するなら親指を下にするのが合図であり、多数決で決められた。剣闘士が死んだ場合、剣闘士養成所の教官は主催者に闘士のランクから決まる市場価格の100倍の金額を請求できた。またそれまでに大金をかけて養成した剣闘士を失うのは主催者にとっても大きな損失であった。とはいうものの主催者の意思では助命は決められないが、歴戦の剣闘士であれば、観客に死を宣告されるような見苦しい負け方はしないように特訓されている。G・ヴェルの研究によると、紀元1世紀において100試合に出場した200人の剣闘士のうち死亡者は19人で、つまり生存率は9割を超えている。上述の通り犯罪者が刑罰として剣闘士に就く場合があり、実際に試合で死ぬのは剣闘士として訓練されていない彼らが中心であったと思われる。

勝利者にはその証であるヤシの葉が与えられ、ヴィクトリー・ランの後に冠をもらえることもあった。ローマ時代の他の競技と同様に剣闘士にも後援者がつくことが多く、勝利の報償として金品を得ることもあったようだ。また、詩人にたたえられ、宝玉や壺に肖像画がえがかれ、婦人たちの愛顧をえた。一人の剣闘士が(運良く)引退するまでに闘う試合数は良く分かっていないが、シチリア島にはフランマという追撃剣闘士の墓があり、その碑文に4度引退を勧められながら34回戦い21回の勝利を収め、9つの戦いでは引き分けたとあるので、5~10回の試合で剣闘士奴隷は自由を得られたと考えられる。剣闘士に限った話ではなく、長年尽くした奴隷はその功に報いて解放される場合が多かったが、剣闘士だった奴隷は観客の喝采を浴びた経験が忘れられず、引退してもまた剣闘士に戻る者もいたとされる。

また、上述の通り観客の喝采を浴びる剣闘士に自ら志願する者も存在し、彼らは一財産を築くことができたと考えられる。

剣闘士の種類

一対一で戦う剣闘士は基本的に以下の五種に分類された。 剣闘士には鎧が宛がわれたが、腹部など急所の部分が露出しているデザインが多い。互いに相手に傷を与える事ができないと試合がなりたたないし、また重い鎧が剣闘士の動きを阻害すると試合としての面白さをそぐ事になる。むしろ試合を見た目にも盛り上げるための、演出用の装身具的は意味合いが強い。すぐれた剣闘士は防御の神経を露出部分に集中することで、防具の不完全さを補ったが、こうした駆け引きもまた試合を盛り上げた。

  • トラキア剣闘士、トゥラケス(Thraces) - トラキア人風の武装をした剣闘士。重装闘士のような格好で湾曲した剣をもっていた。
  • サムニウム剣闘士、サムニテ(Samnite)-サムニウム人風の武装をした剣闘士。長方形の盾を持っていた。
  • 追撃闘士、セクトル(Secutor) - ムルミロに似た鎧をつけ、楕円形の盾とグラディウスを構えていた。レティアリィとの試合を組まれる事が多かった。
  • 魚闘士、ムルミッロ(Murmillo) - 魚を象った兜を装備した剣闘士。レティアリィとの試合を組まれることが多かった。
  • 網闘士、レティアリイ(Retiarii,Retiarius) - 漁師のように投網(レテ)とトライデント、敵にとどめを刺すための短剣を持って戦う剣闘士。兜などは着用せず裸に近い格好で戦った。


野獣と戦う剣闘士を闘獣士と言い、その多くは養成所での訓練についていけなくなり落伍した者たちだった。

  • 闘獣士、ベスティアリイ(Bestiarii) - をもって野獣と戦う剣闘士。彼らは剣闘士競技の午前の部で前座として野獣と闘った。


その他、主催者の趣向で様々な剣闘士が出場した。

  • アンダバタエ(Andabatae) - 極力視界を遮る顔面を覆った兜を被り馬の背に跨って戦う剣闘士。
  • ディマカエリ(Dimachaeri) - 二本のグラディウスを持って戦う二刀流の剣闘士。
  • エクイテ(Equite) - とグラディウスを持ち、マニカと呼ばれる腕当てを装備して馬にのって戦った。
  • エッセダリ(Essedari) - ガリア風のチャリオットに乗った剣闘士。
  • (Galli) - ガリア風の格好をした剣闘士。
  • グラディアトリクス(w:Gladiatrix) - 女性の剣闘士。
  • 重装闘士、ホプロマキ(Hoplomachi) - 重装備をした剣闘士。頭にはクレスト(鶏冠状の飾り)の付いたグリフォンを象ったを装備していた。
  • 縄闘士、ラクエリイ(Laquerii,Laquearius) - 投げ縄で相手の動きを封じて戦う剣闘士。
  • サジタリィ(Sagittarii) - 弓矢を使う剣闘士。

剣闘士を扱った作品

映画

テレビドラマ

漫画

ゲーム

関連項目

参考資料

  • 「A Dictionary of Greek and Roman Antiquities」 John Murray, London, 1875年
  • Nimes Antique Arena, France
  • 『図説 古代仕事大全』 著:ヴィッキー・レオン 株式会社原書房 2009年

脚注


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