中瀬航也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。SeitenBot (会話 | 投稿記録) による 2021年3月17日 (水) 08:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Botによる: {{Normdaten}}を追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

中瀬 航也(なかせ こうや、1971年[1] - )は、日本ソムリエ、1986年創業のシェリー酒専門店である「銀座しぇりークラブ」の店長を勤め、ボデガ(bodega, 複数形はボデガス: bodegas、スペインでのワイナリーの呼称)やアンダルシア州政府、EU(FIAB)などの依頼を受け、数多くのプロモーションをこなす[1]。 「日本のシェリー酒の第一人者」と称される[1][2]。熟成古酒にも詳しい[3]。イギリスを知る会会員[1][2]

親戚には日本での会計士第一号登録の中瀬勝太郎(1884-1955)や、元三陽商会会長の中瀬雅道がいる。

略歴

1971年に東京都国分寺市で生まれ、神奈川県横須賀市馬堀海岸で育つ[1][4]。学生時代はアルバイトで得た収入をほぼ全て海外旅行につぎ込み、ヨーロッパ、アフリカを主に回る。[4]

アルバイトも飲食業を中心に経験し、駿台トラベル&ホテル専門学校を卒業後[4]、飲食店で、ソムリエ、きき酒師(日本酒ソムリエ)、調理師として働き、ワイン業界からシェリー酒に興味を抱くようになった[1][4]。1994年より2005年まで銀座のシェリー専門店「しぇりークラブ」で店長を務める[4]。 2000年にゴンサレス・ビアススペイン)で、2002年にはオズボーンで、それぞれベネンシアドール(シェリー酒の熟成度合いをチェックするテイスター)の実技試験に合格し、ヘレス原産地呼称統制委員会から2002年ベネンシアドール・デ・メリトの称号を授与される[1]

イベリコ丼

2005年、銀座にバー「シェリー・ミュージアム」を開業。シェリー・ミュージアムには、後にバカルディ・レガシー・カクテルコンペティション2012で総合優勝する日本人バーテンダー後閑信吾が働いていたこともある[5]

2014年に東京都五反田でシェリー専門バー(南蛮料理)|シェリー専門バー(南蛮料理)「Bar Sherry Museum」を開業(移転)する[2][4]

自店では、シェリーの提供だけでなく、料理とのペアリングを提案。シェリーを楽しみながらの演奏家、声楽家を招いての演奏イベント、大学教授や各業界の専門家やビジネスマンをゲストスピーカーとして招いての勉強会(新月の会)、シェリーに酔いしれる落語の会など主催し、シェリーの楽しみ方の提案を行っている。 シェリーに合う料理として、スペイン産のイベリコハムを丼にした「イベリコ丼」を考案した。

店舗運営の傍ら、日本全国(北は札幌、南は沖縄)で、依頼、主催、共催でシェリー・セミナーやイベントを行う他、大学(同志社、東洋大学、立教大学)などでゲストスピーカーで講演も行う。

書籍出版

単著
共著

オリジナルシェリー

2014年スペインと日本の国交400周年を記念して、「サン・フアン・バウティスタ・パロ・コルタド・VOS・シェリー」を企画、限定販売。ラベルは、1613年、使節としてスペインに渡った支倉常長の肖像画を起用し、国宝「支倉常長像」を仙台市博物館の許可の元、使用した[6][7]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 人名事典 中瀬航也”. PHP研究所 (2003年). 2018年12月28日閲覧。
  2. ^ a b c シェリー酒、日本酒好きならお試しあれ 意外な共通点”. NIKKEI STYLE (2017年4月27日). 2018年12月28日閲覧。
  3. ^ 上田孝嗣 (2014年10月16日). “古酒――新酒より新しい? 日本酒でも人気じわり”. ことば談話室 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル. 2018年12月28日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 中瀬航也 プロフィール”. HMV. 2018年12月28日閲覧。
  5. ^ カクテル世界大会で1位に輝いた後閑信吾さん”. NY1PAGE (2012年4月7日). 2018年12月28日閲覧。
  6. ^ 『Sherry - Unfolding the Mystery of Wine Culture』志學社、2017年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784904180709 
  7. ^ 中瀬航也 (2014年2月13日). “サン・ファン・バウティスタ発売”. 中瀬航也. 2019年1月18日閲覧。

外部リンク