上目名駅
上目名駅 | |
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上目名駅跡。保線用の側線の分岐部にスノーシェルターがある。1994年撮影。 | |
かみめな Kami-Mena | |
◄熱郛 (7.2 km) (8.2 km) 目名► | |
所在地 | 北海道磯谷郡蘭越町字上目名 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 函館本線 |
キロ程 | 147.6 km(函館起点) |
電報略号 | カメ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
開業年月日 | 1913年(大正2年)11月3日[1] |
廃止年月日 | 1984年(昭和59年)3月31日[1] |
備考 | 利用者僅少により廃駅 |
上目名駅(かみめなえき)は、北海道(後志支庁)磯谷郡蘭越町字上目名にあった日本国有鉄道(国鉄)函館本線の駅(廃駅)である。利用者僅少に伴い1984年(昭和59年)3月31日に廃駅となった[1]。
概要
1913年(大正2年)、駅間距離が15.4kmある熱郛駅と目名駅の間に設置された。
開業時から、観音山・幌内山といった海抜600 - 800m程度の山に挟まれた立地であったことから周辺人口はほとんどなく、列車交換のための信号場という役割が強い駅となっていた。そのため、廃止の2年前まで無人化は実施されず、無人化後も運転扱いのための係員が配置された。昭和30年代までは、電報の取り扱い駅でもあった。
なお、熱郛駅 - 当駅間に北海道総局と青函船舶鉄道管理局との境があったため、普通の乗降客はほとんどないにもかかわらず、昭和40年 - 50年頃には小樽方面から来て当駅で折り返す普通列車が日1・2往復設定されていた。ただし、これは駅員家族の通学便宜を図るためのものといわれており、休日は目名駅で折り返し運転を行っていた。
また、函館本線を走る蒸気機関車の撮影において、当駅周辺は山間にあり鉄道でのアクセスが可能なことから格好の撮影地とされ、撮影を主におく鉄道ファンで賑わいを見せることもあった。
1984年(昭和59年)3月に廃止となった。同年2月のダイヤ改正で、貨物列車を中心に列車本数の削減が図られ、交換所としての意義が失われたことと、当時推し進められていた合理化政策を受けてのものであったとされる。末期の乗降客数は、1日平均2人という状態であった。
歴史
- 1913年(大正2年)9月21日:国有鉄道函館本線 熱郛駅 - 目名駅間に新設開業[2]。一般駅。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1974年(昭和49年)9月5日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1982年(昭和57年)3月1日:荷物扱い廃止[1]。同時に出札・改札業務を停止し、旅客業務については無人化[3](簡易委託)。ただし、閉塞扱いの運転要員は継続配置。
- 1984年(昭和59年)3月31日:利用者僅少に伴い、廃駅となる[1]。
駅構造
廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[4]。駅舎側(西側)が下り線、反対側(東側)が上り線となっていた(番線表示なし)[4]。そのほか下り線の外側、駅舎との間に側線を1線有していた[4]。
最終日まで無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分とを結ぶ構内踏切で連絡した[4]。乗車券類は簡易委託化されており、廃止時まで販売が行われていた。
駅名の由来
当駅の所在する地名より。地名は、目名川の上流に位置することにより[5]「目名」に「上」を冠した。
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は1人[4]。
駅周辺
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e f 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、810頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 『官報』 1913年09月17日 鉄道院告示第79号(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “「通報」●函館本線上目名駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1982年2月27日)
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)29ページより。
- ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、(2004年2月発行))34ページより。
- ^ a b c 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。