上田正造
上田正造 | |
---|---|
グランプリでの経歴 | |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1993 - 1994 |
チーム |
93’セクレテイルヤマハ 94’ケイユースズキ |
レース数 | 16 |
チャンピオン | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション回数 | 0 |
ファステストラップ回数 | 1 |
初グランプリ | 1993’全日本ロードレース選手権GP250 開幕戦 |
最終グランプリ | 1994’全日本ロードレース選手権GP250 第7戦 |
上田 正造(うえだ しょうぞう、1975年2月5日 - )は、山口県宇部市出身の元プロレーシングライダー、事業家。 家庭内の事情から現役引退後に姓の変更をした為、現在の名前は竹下 晶祥。※名前の読みは同じ。(本名 竹下 正造)身長168cm、体重55kg、血液型Rh-A。
来歴
1993年より2シーズン全日本ロードレース選手権GP250にヤマハ、スズキのワークスチームから参戦。 その後、極度の不振に陥り2年間ノーポイントのまま短い現役生活を終え、1995年に引退。
引退後は二輪販売会社を経営する傍ら、2008年にプロ野球関西独立リーグ・紀州レンジャーズの運営母体、株式会社紀州レンジャーズの取締役兼任ゼネラルマネージャーに就任。
2009年2月20日、同じリーグの新球団である神戸9クルーズへ執行役員常務として移籍した[1]が、同年6月、神戸を運営する株式会社神戸ベースボールクラブから解任される。
2011年4月、四国アイランドリーグplusに所属する徳島インディゴソックスのゼネラルマネージャーに就任[2] 。約2年ぶりの球界復帰となる。
竹下の在任中、徳島は2012年3月27日、3月1日に決定されたNPB育成選手の独立リーグ派遣制度の適用を国内の独立リーグ球団で初めて実現し[3]、8月には元広島東洋カープの長内孝を打撃コーチとして招聘している。
2012年12月、徳島球団公式ホームページや自身のfacebookにて、退団を表明(球団は「勇退」としている)[4]。
略歴
- 1991年 - 地方選手権にてロードレースデビュー。
- 1992年 - 日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)ロードレースライセンス国内A級昇格。
- 1993年
- MFJロードレースライセンス国際A級昇格。
- 全日本ロードレース選手権GP250にセクレテイルヤマハから参戦。
- 1994年 - KEIYUスズキに移籍。
- 1995年 - 現役引退。(スズキ)
- 2008年 - 株式会社紀州レンジャーズの取締役ゼネラルマネージャーに就任。
- 2009年
- 2月 - 株式会社神戸ベースボールクラブ(神戸9クルーズ)の執行役員常務に就任。
- 6月 - 神戸の執行役員常務を解任される。
- 2011年 - 四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスのゼネラルマネージャーに就任。
- 2012年 - 徳島のゼネラルマネージャーを勇退。
エピソード
- 現役引退後の「サイクルサウンズ」の取材に対し、不振の理由の一つにデビューの年に交通事故で亡くした「親友の死」が関係していると告白している。「乗り越えることができず、また、レースに持ち込んでしまった事は自分がワークスライダーとして相応しくなかった証拠だと思っています。」と誌上で語っている。
- 紀州レンジャーズのGM時にディスクジョッキー顔負けの声でホームの場内アナウンスも行うGMとして話題になる。のちに徳島インディゴソックスでも場内アナウンスを務めている。
- コピーライターとしても活躍しており、宣伝会議賞など、多数の入選実績がある。
- 徳島県内でイタリア料理店を経営しており、自らが調理を行っている。現在は広告代理店やカフェも経営している。
脚注
- ^ 紀州レンジャーズ 竹下GM移籍のお知らせ - 紀州レンジャーズウェブサイト(2009年2月20日)
- ^ 徳島インディゴGMは36歳 元レーサー、経営手腕磨く - 朝日新聞大阪版(2012年1月15日)
- ^ 徳島IS 広島東洋カープより育成選手派遣のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2012年3月27日)。なお、香川オリーブガイナーズが同制度での派遣契約の締結を発表したのは2日後の3月29日である(香川OG 広島東洋カープより育成選手派遣のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2012年3月29日))。
- ^ 徳島インディゴソックスニュース&トピックス2012年12月 - 徳島インディゴソックスウェブサイト(「竹下GM 勇退のご報告」を参照)