マルゲリータ (政党)
マルゲリータ・民主主義とは自由 Democrazia è Libertà - La Margherita(DL) | |
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成立年月日 | 2002年3月24日 |
解散年月日 | 2007年10月27日 |
解散理由 | 新党結成のため |
後継政党 | 民主党、民主連合 |
政治的思想・立場 |
中道主義[1] 社会自由主義 キリスト教左派(キリスト教民主主義) |
機関紙 | エウローパ |
シンボル | マルゲリータ党章 |
国際組織 | 欧州民主党 |
マルゲリータ・民主主義とは自由(マルゲリータ・みんしゅしゅぎとはじゆう、イタリア語: Democrazia è Libertà - La Margherita, "DL")は、かつて存在したイタリアの政党である。「マルゲリータ」はイタリア語でヒナゲシを意味する。
概要
[編集]2000年、次期総選挙に向けて与党の中道左派連合「オリーブの木」内の旧・キリスト教民主主義出身勢力を中心に左翼勢力の影響力を抑え、保守・中道右派勢力への浸透を図るため、連合内連合を目指す動きが起こった。
キリスト教左派政治勢力は、ローマ市長であったフランチェスコ・ルテッリを代表とする政党連合「マルゲリータ」を発足させた。ルテッリは「オリーブの木」最大政党・左翼民主主義者(DS)の支持を受け「オリーブの木」の首相候補となった。しかし2001年の総選挙ではシルヴィオ・ベルルスコーニに率いる中道右派連合「自由の家」に敗北した。
2002年、下野をきっかけに「マルゲリータ」所属政党は中道勢力の再編成を目指してイタリア人民党(PPI)、民主主義者、欧州民主連合、イタリア刷新(RI)が合流、新党「マルゲリータ」を結成した。
理念
[編集]マルゲリータの党首は元ローマ市長のフランチェスコ・ルテッリであり、2001年の総選挙においても首相候補として選挙に臨んだ。
彼らは中道リベラル路線であり、オリーブの木の参加政党である。また欧州議会において、民主党は欧州自由民主改革党 (ELDR) に、イタリア人民党は欧州人民党 (EPP) にそれぞれ加盟していた。2004年の欧州議会選挙後、統合された両党は ELDR と EPP のどちらにも加わらず、フランスのUDFなどと共に欧州民主党 (EDP) を結成した。欧州民主党はさらに欧州自由民主連盟を結成した。
派閥
[編集]マルゲリータ党内には2つの主流派の派閥があった。
- ルテッリ派(Rutelliani)
- イタリア人民党の中核メンバー。フランコ・マリーニ、チリアーコ・デ・ミータ、ダリオ・フランチェスキーニら
- ルテッリ自身のグループ。パオロ・ジェンティリオーニ、ロベルト・ジャッケッティ、エルメテ・レアラッチ、ジャンニ・ベルネッティなど(急進派、緑の党、民主党それぞれのリーダーについてきた者が多い)
- プローディ派(Prodiani)
- 民主主義者の中核メンバー。アルトゥロ・パリシ、マリーナ・マジステッリ、エンゾ・ビアンコ、ウィレル・ボルドン、アントニオ・マッカニコら
- イタリア人民党のメンバーのプローディ支持者。ピエルルイジ・カスタニェッティ、ロージー・ビンディ、エンリコ・レッタら
ルテッリ派はより社会的に保守的でカトリック志向であり、世俗主義でなければプローディの人気に頼る手法は大きな例外となりそうだが、アルトゥロ・パリシの派はよりリベラルであった。
出身政党別のメンバー
[編集]- キリスト教民主主義
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- チリアーコ・デ・ミータ(元首相)
- フランコ・マリーニ
- ジェラルド・ビアンコ
- エンリコ・レッタ
- ピエルルイジ・カスタニェッティ
- ダリオ・フランチェスキーニ
- ニコラ・マンチーノ(元上院議長)
- ロージー・ビンディ(元保健相)
- 自由党
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- ランベルト・ディーニ(元首相、イタリア刷新党首)
- ナターレ・ダミコ
- ヴァレリオ・ザノーネ
- 共和党
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- エンゾ・ビアンコ(元内相)
- アントニオ・マッカニコ
- エリオ・ロスターニョ
- 社会党
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- ティチアーノ・トレウ(元労働相)
- エンリコ・マンカ
- ピエルルイジ・マンティーニ
- 緑の党
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- フランチェスコ・ルテッリ(元党首、元ローマ市長)
- エルメテ・レアラッチ
- ジャンニ・ベルネッティ
- 急進党
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- フランチェスコ・ルテッリ(1980年代の党首)
- ロベルト・ジャケッティ
- 共産党
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- マッシモ・カッチャーリ(元ヴェネツィア市長)
- ウィレル・ボルドン
脚注
[編集]- ^ 百科事典マイペディア - イタリア共産党 コトバンク. 2018年9月10日閲覧。