フレデリック・キンバー・スワード

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フレデリック・キンバー・スワード

フレデリック・キンバー・スワード(Frederick Kimber Seward, 1878年3月23日 - 1943年12月7日)は、ニューヨーク市内の企業 Curtis, Mallet-Prevost & Colt 社で顧問弁護士を務めた法律家タイタニック号沈没事故の生存者である。

私生活[編集]

デラウェア州ウィルミントンにおいて誕生した。父親はサミュエル・S・スワード (Samuel S. Seward)、母親はクリシー・キンバー (Crissie Kimber) であった。スワードは1899年コロンビア大学を卒業した。在学中は合唱部に所属した。弟のJ・ペリー・スワード (J. Perry Seward) はニューヨークでホメオパシーの医師となった。

タイタニック号沈没事故[編集]

スワードは1912年4月10日イギリスサウサンプトンから1等船客として乗船した。1912年4月14日深夜、タイタニック号は氷山に接触し、翌日未明にかけて沈没した。そのときスワードは、一等船室のラウンジで教会の友人ドロシー・ギブソンおよびウィリアム・T・スローパートランプで遊んでいた。スワードは7番救命ボートに乗り込んで最初に船を離れ、沈没する船から逃れ生き残った。帰還後、生存者を代表して、船会社を相手に集団訴訟を起した。

晩年[編集]

スワードはニューヨーク市内に戻り、1943年12月7日心不全で死去した。

外部リンク[編集]