フェラーラとモデナの君主一覧
フェラーラとモデナの君主一覧では、13世紀から19世紀のイタリアにおけるフェラーラ、モデナおよびレッジョの君主を挙げる。
概史
イタリアの有力貴族でランゴバルド人の血統のエステ家は、10世紀以来エステ辺境伯の地位を世襲し、1196年からはフェラーラ侯となった。1240年にフェラーラのシニョリーア(僭主制)を確立した。
1452年にはモデナとレッジョ、1471年にはフェラーラがそれぞれ侯爵領から公爵領に改められた。フェラーラ戦争(1482年 - 1484年)。
1598年、フェラーラはローマ教皇に奪取され教皇領に編入され、以後はエステ家はモデナおよびレッジョ公国(モデナ公国)として存続した。
1796年、モデナ公国はナポレオン・ボナパルトに征服されチザルピーナ共和国に編入された。
1814年、モデナ公国はエステ家最後のモデナ公エルコレ3世の女系の孫でハプスブルク家のフランチェスコ4世の下で再興され、1859年にサルデーニャ王国に併合されるまで続いた。このオーストリア=エステ家は最後の君主となったフランチェスコ5世で断絶し、名目上の公位とオーストリア=エステ大公の称号は遠縁の同族であるオーストリア帝位継承者フランツ・フェルディナント大公へ、さらにその甥で皇帝となるカール1世からその子、孫へと継承されている。
フェラーラ、モデナおよびレッジョの侯爵(エステ家)
- オビッツォ2世(1264年 - 1293年)
- アッツォ8世(1293年 - 1308年)
- アルドブランディーノ2世(1308年 - 1326年)
- オビッツォ3世(1317年 - 1352年)
- ニッコロ1世(1335年 - 1361年)
- アルドブランディーノ3世(1335年 - 1361年)
- ニッコロ2世(1361年 - 1388年)
- アルベルト(1388年 - 1393年)
- ニッコロ3世(1383年 - 1441年)
- レオネッロ(1441年 - 1450年)
フェラーラ、モデナおよびレッジョの公爵(エステ家)
- ボルソ(1450年 - 1471年、1452年からモデナおよびレッジョ公、1471年からフェラーラ公)
- エルコレ1世(1471年 - 1505年)
- アルフォンソ1世(1505年 - 1534年)
- エルコレ2世(1534年 - 1559年)
- アルフォンソ2世(1559年 - 1597年)
モデナおよびレッジョの公爵(エステ家)
- チェーザレ(1597年 - 1628年) 1598年にフェラーラを失う
- アルフォンソ3世(1628年 - 1629年)
- フランチェスコ1世(1629年 - 1658年、1644年没)
- アルフォンソ4世(1658年 - 1662年)
- フランチェスコ2世(1662年 - 1694年)
- リナルド3世(1694年 - 1737年)
- フランチェスコ3世(1737年 - 1780年)
- エルコレ3世(1780年 - 1796年、1803年没)
モデナおよびレッジョの公爵(オーストリア=エステ家)
モデナおよびレッジョの公爵(オーストリア=エステ家、公国消滅後)
- フランチェスコ5世(1859年 - 1875年)
- フランツ・フェルディナント(1875年 - 1914年)
- カール1世(1914年 - 1917年)
- ローベルト(1917年 - 1996年)
- ローレンツ(1996年 - )