アルフォンソ2世・デステ

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Alfonso II d'Este.

アルフォンソ2世・デステAlfonso II d'Este, 1533年11月22日 - 1597年10月27日)は、フェラーラモデナ及びレッジョ公

エルコレ2世・デステと妃レナータの長男として、フェラーラで生まれた。若い頃、ハプスブルク家と敵対するフランスアンリ2世の元で戦った。彼は公位を継承するとすぐ、ローマ教皇ピウス4世に、カルヴァンに共感する母レナータをフランスへ送還するよう強いられた。

1583年、彼は神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と同盟し、ハンガリーオスマン帝国と戦った。

彼は、フェラーラの栄光を高めた人物である。トルクァート・タッソジョヴァンニ・バッティスタ・グアリーニチェーザレ・クレモニーニのパトロンであった。エステ家の公子たちがそうであったように、芸術と科学を好んだ。ルッツァスコ・ルッツァスキは彼の宮廷オルガン奏者であった。

生涯に3度結婚をしたが、いずれの妻とも子供をもうけることができなかった。庶出の子供もいなかったとされる。

1597年の彼の死とともにエステ家の直系は絶えた。ルドルフ2世は、自身の甥にあたるエステ家傍系のチェーザレ・デステを公位に据えようと考えた。しかし庶出の家系出身であるチェーザレを嫌った教皇クレメンス8世により、フェラーラは教皇領に組み込まれた。

先代:
エルコレ2世
フェラーラ、モデナ及びレッジョ公
1559年 - 1597年
次代:
チェーザレ