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ビルギット・プリンツ

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ビルギット・プリンツ
名前
ラテン文字 Birgit Prinz
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1977-10-25) 1977年10月25日(46歳)
出身地 フランクフルト
身長 179cm
選手情報
ポジション FW
代表歴
1994-2011 ドイツの旗 ドイツ 214 (128)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
オリンピック
女子サッカー
2004 女子サッカー
2000 女子サッカー

ビルギット・プリンツ(Birgit Prinz、1977年10月25日 - )は、ドイツの元女子サッカー選手。フランクフルト出身。1.FFCフランクフルト(1. FFC Frankfurt)所属。身長179cm、体重76kgの大型フォワードであった。女子サッカーを代表する選手のひとりで、2003年から2005年の3年連続で、女子部門においてFIFA最優秀選手賞に選出、ドイツ年間最優秀女子サッカー選手賞にも2001年から2008年まで8年連続で選出された。また実現こそしなかったがイタリアセリエA所属のクラブ・ペルージャのガウチ会長が男子チームでの起用を目的に、獲得に興味を示した事でも話題になった。

経歴

幼少からサッカーに親しみ、17歳からはフランクフルトで初の女子サッカークラブ1.FFCフランクフルトに所属して活躍した。2002年からはWUSAキャロライナ・カーレッジに移籍し、15試合の出場ながら12得点、8アシストと大活躍し、この年、クラブはリーグ優勝を果たした。2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪と、二度のオリンピックにドイツ代表の中心選手として参加し、両大会で銅メダルを獲得した。

FIFA女子ワールドカップには1995年スウェーデン大会からメンバー入りし同大会準優勝を経験、自身もグループリーグのブラジル戦で1得点を挙げた。その後の大会でも引き続き代表に選出され、2003年アメリカ大会では7得点を挙げ大会得点王とMVPを獲得しチームは初優勝、2007年中国大会も5得点を挙げてチームの2連覇に大きく貢献した。

自国開催となった2011年ドイツ大会でも大会3連覇を目標に掲げるチームの絶対的なエースストライカーとして大いに活躍を期待されたが、ブンデスリーガ2010-2011シーズン中に負った怪我が元で不調に陥った。大会開幕後も一向に調子は上がらず、グループリーグのカナダ戦とナイジェリア戦はスタメン出場するがどちらも試合後半に途中交代を命じられ、以降はベンチメンバーとして臨んだが出場機会を与えられる事は無かった。チームはグループリーグを1位で通過するも準々決勝で日本に延長戦の末破れベスト8で敗退し、自身も無得点。同年代の澤穂希アビー・ワンバックらが輝きを放ったのとは対照的に、個人としてもチームとしても不本意な結果に終わった(同大会は翌2012年ロンドン五輪の欧州予選も兼ねていた為、ドイツはその出場権も逃した)。大会終了後(2011年7月)にドイツ代表から引退、翌8月に所属クラブとドイツサッカー協会を通じて現役を引退する事を表明した。

所属クラブ

タイトル

ドイツ代表

ブンデスリーガ

国際大会

アメリカ女子サッカーリーグ (WUSA)

  • Founders Cup優勝(Carolina Courage 2002年

個人タイトル

外部リンク