ヒュー・グローヴナー (初代ウェストミンスター公爵)
初代ウェストミンスター公爵 ヒュー・グローヴナー Hugh Grosvenor, 1st Duke of Westminster | |
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初代ウェストミンスター公 | |
生年月日 | 1825年10月13日 |
出生地 | イギリス、チェシャー州、チェスター、イートン・ホール |
没年月日 | 1899年12月22日 |
死没地 | イギリス、ドーセット州、クランボーン、セント・ジャイルズ |
出身校 | オックスフォード大学ベリオール・カレッジ |
所属政党 | 自由党 |
称号 |
ガーター勲章勲爵士 (KG) 枢密顧問官 (PC) 治安判事 (JP) |
配偶者 |
(1) コンスタンス・ルーソン=ゴア (2) キャサリン・キャヴェンディッシュ |
内閣 | 第2次グラッドストン内閣 |
在任期間 | 1880年5月3日 - 1885年6月9日 |
国王 | ヴィクトリア |
初代ウェストミンスター公爵ヒュー・ルーパス・グローヴナー(英: Hugh Lupus Grosvenor, 1st Duke of Westminster、1825年10月13日 - 1899年12月22日)は、イギリスの貴族、政治家、馬主。ガーター勲章勲爵士(KG)、枢密顧問官(PC)、治安判事(JP)。
ベルグレイヴ子爵リチャード・グローヴナー(後の第2代ウェストミンスター侯爵)と、その妻である第2代スタッフォード侯爵ジョージ・ルーソン=ゴア(後の初代サザーランド公爵)の娘レディ・エリザベス・メアリの間に次男としてチェシャー州チェスターのイートン・ホールで生まれた。兄は既に夭折しており、出生時から継嗣であった。祖父の第2代グローヴナー伯爵ロバートがウェストミンスター侯爵に叙された1831年から父親が2代侯爵となる1845年までは「ベルグレイヴ子爵(Viscount Belgrave)」の、1845年から自身が襲爵する1869年までは「グローヴナー伯爵(Earl Grosvenor)」の儀礼称号で称された。
オックスフォード大学ベリオール・カレッジで教育を受ける。 1847年から襲爵により貴族院に移る1869年まで、チェスター選挙区選出の自由党所属庶民院議員。
1874年、王族の血を引く、または結婚によりイギリス王室と縁続きになったわけでもないのに、貴族として最も高位である公爵の位を授けられた。当時、彼はグローヴナー家の私的財産として、ロンドン市内のメイフェア、ベルグラヴィア、ピムリコを抱えるイギリス有数の資産家であった。彼はチェシャーのイートン・ホールを本宅とし、他に例のないほどの金額をかけて再建設させた。彼はまた、当時最も成功した馬主の一人でもあった。
競馬
ヒュー・グローヴナーはイートン・スタッドを相続し、馬主であると同様にブリーダーとしても成功をおさめた。彼はエプソム・ダービーの優勝馬ベンドア号、三冠馬オーモンド号、二頭目の三冠馬となったフライングフォックス号を所有していた。生産馬としては他に四冠馬セプター号がいる。
アーサー・コナン・ドイルが、私立探偵シャーロック・ホームズシリーズの短編『白銀号事件』で創作したロス大佐のモデルは、ヒュー・グローヴナーであると信じられている。
家族
ウェストミンスターは2度結婚している。最初の妻は第2代サザーランド公爵ジョージ・サザーランド=ルーソン=ゴアの五女であるレディ・コンスタンス・ガートルード・サザーランド=ルーソン=ゴアで、1852年4月28日にセント・ジェームズ宮殿のチャペル・ロイヤルで結婚した。彼女は母方の従妹にあたる。
- グローヴナー伯爵ヴィクター・アレグザンダー・グローヴナー (1853年 - 1884年) - 第2代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナーの父。
- レディ・エリザベス・ハリエット・グローヴナー (1928年没) - 第3代オーモンド侯爵ジェイムズ・バトラー夫人
- レディ・ベアトリス・コンスタンス・グローヴナー (1911年没) - 第3代チェサム男爵チャールズ・キャヴェンディッシュ夫人。
- アーサー・ヒュー・グローヴナー卿 (1860年 – 1929年) - 陸軍中佐。
- ヘンリー・ジョージ・グローヴナー卿 (1861年 – 1914年) - 第3代ウェストミンスター公爵ウィリアム・グローヴナーの父。
- ロバート・エドワード・グローヴナー卿 (1869年 – 1888年)
- レディ・マーガレット・イヴリン・グローヴナー (1873年 – 1929年) - 初代ケンブリッジ侯爵アドルファス・ケンブリッジ夫人
- ジェラルド・リチャード・グローヴナー卿 (1874年 – 1940年) - Captain[訳語疑問点]
コンスタンスと死別した後、第2代チェサム男爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの三女であるオナラブル・キャサリン・キャロライン・キャヴェンディッシュと1882年7月19日にノーフォーク州のホーカム・ホールで結婚した。
- レディ・メアリ・キャヴェンディッシュ・グローヴナー (1883年 – 1959年) - 初めクリントン子爵ヘンリー・クリントン夫人、後にアルジャーノン・フランシス・スタンリー夫人
- ヒュー・ウィリアム・グローヴナー卿 (1884年 – 1914年) - 第4代ウェストミンスター公爵ジェラルド・グローヴナーと第5代ウェストミンスター公爵ロバート・グローヴナーの父。
- レディ・ヘレン・フランセス・グローヴナー (1888年 – 1970年) - ヘンリー・シーモア卿夫人。
- エドワード・アーサー・グローヴナー卿 (1892年 – 1929年)
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Earl Grosvenor(英語) (英語)
- Hugh Lupus Grosvenor, 1st Duke of Westminster - ナショナル・ポートレート・ギャラリー (英語)
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