ハゼノキ

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ハゼノキ
ハゼノキ
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
: ムクロジ目 Sapindales
: ウルシ科 Anacardiaceae
: ウルシ属 Toxicodendron
: ハゼノキ T. succedaneum
学名
Toxicodendron succedaneum (L.) Kuntze
シノニム

Rhus succedanea L.

和名
ハゼノキ

ハゼノキ(櫨の木、黄櫨の木、学名:Toxicodendron succedaneum)はウルシ科ウルシ属落葉小高木。単にハゼとも言う[1]。別名にリュウキュウハゼ[1]ロウノキトウハゼなど。果実薩摩の実とも呼ばれる。

東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生する。日本には、果実から木蝋を採取する資源作物として、江戸時代頃に琉球王国から持ち込まれ、それまで木蝋の主原料であったウルシの果実を駆逐した。古い時代には現在のヤマウルシヤマハゼといった日本に自生するウルシ科の樹木のいくつかを、ハゼと称していた。

俳句の世界では秋に美しく紅葉するハゼノキを櫨紅葉(はぜもみじ)とよび秋の季語としている。櫨の実も秋の季語である[2]

ウルシほど強くはないが、かぶれることもあるので注意が必要。

特徴

ハゼノキ (イラスト)
果実を食べるキツツキの仲間のコゲラ

雌雄異株の高木で、樹高は10mほどになる。樹皮は灰褐色から暗赤色。

は奇数羽状複葉で9-15枚の小葉からなる。小葉は長さ5-12cmの披針形で先端が尖る。表面は濃い緑色で光沢があるが、裏面は白っぽい。表裏ともに毛がない点で、日本に古来自生するヤマハゼと区別できる。秋に紅葉する。

花は円錐花序で、5-6月頃に黄緑色の小さな花を咲かせる。雄花、雌花ともに花弁は5枚。雄花には5本の雄しべがある。雌しべは3つに分かれている。

秋に直径5-15mmほどの扁平な球形の果実が熟す。果実の表面は光沢があり無毛。未熟果実は緑色であり、熟すと淡褐色になる。中果皮は粗い繊維質で、その間に高融点の脂肪を含んだ顆粒が充満している。冬になると、カラスキツツキなどの鳥類が高カロリーの餌として好んで摂取し、種子散布に寄与する。は飴色で強い光沢があり、俗に「きつねの小判」、若しくは「ねずみの小判」と呼ばれる。

利用

果実を蒸して圧搾して採取される高融点の脂肪、つまり木蝋は、和蝋燭坐薬軟膏の基剤、ポマード石鹸クレヨンなどの原料として利用される。 日本では、江戸時代に西日本の諸で木蝋をとる目的で盛んに栽培された。 また、江戸時代中期以前は時としてアク抜き後焼いて食すほかすりつぶしてこね、ハゼ餅(東北地方のゆべしに近いものと考えられる)として加工されるなど、救荒作物としての利用もあった。現在も、食品の表面に光沢をつけるために利用される例がある。

木材は、ウルシと同様心材が鮮やかな黄色で、工芸品、細工物などに使われる。

歴史

日本への渡来は安土桃山時代末の1591年(天正19年)に筑前の貿易商人 神屋宗湛島井宗室らによって中国南部から種子が輸入され、当時需要が高まりつつあったろうそくの蝋を採取する目的で栽培されたのがはじまりとされる。その後江戸時代中期に入って中国から沖縄を経由して、薩摩でも栽培が本格的に広まった。薩摩藩は後に1867年(慶応3年)年のパリ万国博覧会にはこのハゼノキから採った木蝋(もくろう)を出品している。

なお今日の本州の山地に見られるハゼノキは、この蝋の採取の目的で栽培されたものの一部が野生化したものとみられている。

脚注

  1. ^ a b 樹皮・葉でわかる樹木図鑑 (2011)、170頁
  2. ^ 「櫨紅葉」「櫨の実」「櫨採り」は晩秋・植物の季語。一方、「櫨」「櫨の木」は仲夏・植物に、「櫨の花」は初夏・植物に分類される季語である。- 齋藤慎爾・阿久根末忠編『必携季語秀句用字用例辞典』柏書房、1997年、P.871

参考文献

  • 菱山忠三郎(監修) 編『樹皮・葉でわかる樹木図鑑』成美堂出版、2011年6月。ISBN 978-4415310183 

関連項目

外部リンク