デブラ・ウィンガー
デブラ・ウィンガー Debra Winger | |
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2009年オバマ大統領就任式において、デブラ・ウィンガーと息子ギデオン・ハワード | |
本名 | Mary Debra Winger |
生年月日 | 1955年5月16日(69歳) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
配偶者 |
ティモシー・ハットン (1986-90) アーリス・ハワード (1996-) |
デブラ・ウィンガー(Debra Winger, 1955年5月16日 - )はアカデミー賞ノミネート歴のあるアメリカ合衆国の女優である。
来歴
デブラ・ウィンガー(本名:Mary Debra Winger)はオハイオ州クリーブランドハイツのユダヤ人家庭に生まれた。15歳で高校を卒業したのち、16歳で単身イスラエルに渡り、数か月の間キブツで過ごす[1][2]。帰国後、ウィンガーは交通事故に遭い、その結果10ヶ月間、脳出血による左半身の麻痺と失明で苦しんだ。当初ウィンガーは二度と回復しないと宣告された。彼女は闘病生活の中で人生について考えるうちに、もしも回復したら、カリフォルニア州に移って女優になろうと決心した[3]。
ウィンガーが最初に得た役は、1977年の米テレビドラマ『ワンダーウーマン』のヒロイン、ダイアナ・プリンスの妹で、ワンダーガールであるドルシラ。最初の主演作は、1980年にジョン・トラボルタと共演した『アーバン・カウボーイ』だった。ウィンガーはこの作品で英国アカデミー賞にノミネートされた。
1982年には『キャナリー・ロウ』でニック・ノルティと共演。また同年、リチャード・ギアと主演した『愛と青春の旅立ち』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。1986年には、『夜霧のマンハッタン』でロバート・レッドフォード、ダリル・ハンナと共演した。『ET』では、デジタル加工されたウィンガーの声が使われているが、映画にクレジットはされていない。1993年の『永遠の愛に生きて』の演技で、ウィンガーは二度目の英国アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
1995年、ウィンガーは映画界から離れた。2001年、ロザンナ・アークエット監督・脚本・出演のドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』が批評家の絶賛を浴びた。2002年公開の映画でウィンガーは映画界に復帰した。2005年のテレビ映画『コロンバインの空に コロンバイン高校事件を乗り越えて』はエミー賞にノミネートされ、ウィンガーの女優復帰を改めて印象づけた。
私生活
ウィンガーは1986年から1990年まで、俳優のティモシー・ハットンと結婚していた。アラン・ルドルフ監督の『メイド・イン・ヘブン』で共演。主演はハットンで、ウィンガーは男装のカメオ出演であった。二人の間には1987年に産まれた息子のノア・ハットンがいる。1996年に映画監督で俳優のアーリス・ハワードと再婚、1997年に息子が生まれ、現在に至る。
『愛と追憶の日々』をネブラスカ州リンカーンで撮影していた時、ウィンガーは元上院議員(ネブラスカ州選出)のボブ・ケリーとデートしていた。
アカデミー賞のノミネート歴
出演作
- アーバン・カウボーイ Urban Cowboy(1980)
- キャナリー・ロウ Cannery Row (1982)
- 愛と青春の旅だち An Officer and a Gentleman (1982)
- 愛と追憶の日々 Terms of Endearment』 (1983)
- 夜霧のマンハッタン Legal Eagles (1986)
- メイド・イン・ヘブン Made in Heaven (1987)
- 背信の日々 Betrayed (1988)
- もうひとつのラブストーリー Everybody Wins (1990)
- シェルタリング・スカイ The Sheltering Sky (1990)
- 奇跡を呼ぶ男 Leap of Faith (1992)
- 欲望 A Dangerous Woman (1993)
- 永遠の愛に生きて Shadowlands (1993)
- ワイルダー・ナパーム(別名「ファイヤー・ブラザーズ 史上最大の兄弟ゲンカ」)Wilder Napalm (1993)
- 彼と彼女の第2章 Forget Paris (1995)
- 僕はラジオ Radio (2003)
- ルワンダ流血の4月 Sometimes in April (2005)
- レイチェルの結婚 Rachel Getting Married (2008)