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デウス

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デウスDeus)はラテン語を表す言葉。デーウスと発音されることもあるが、ラテン語本来の発音はデウスである。古代ローマには神一般を表す言葉であったが、キリスト教の普及により唯一の神をあらわす言葉となった。日本では戦国時代末期、キリシタンの時代に「神」を指す言葉として用いられた。この語が変化して、仏dieu、伊dio、西dios、ポdeusになっている。

語源

インド・ヨーロッパ祖語の *Dyēus天空、輝き」に由来すると推定される。*Dyēusディヤウス)はインド・ヨーロッパ語族における多神教最高神であり、ギリシア語ゼウスやラテン語のデウス、サンスクリットデーヴァ古ノルド語テュール等の語源となった。また「父なる」という添え名を付した形 *Dyēus ph₂ter は *Pltwih₂ Mh₂ter大地母神」と対をなす呼称で、ラテン語のユーピテルの源となった。

日本のカトリックにおけるデウス

フランシスコ・ザビエルは来日前、日本人のヤジロウとの問答を通してキリスト教の「神」を日本語に訳す場合、大日如来に由来する「大日」(だいにち)を用いるのがふさわしいと考えた。しかし、これはヤジロウの仏教理解の未熟さによるもので、後に「大日」という語を用いる弊害のほうが大きいことに気づかされることになる。1549年に来日したザビエルたちが、「大日を拝みなさい」と呼びかけると僧侶たちは仏教の一派だと思い、歓迎したといわれている。

やがてザビエルはキリスト教の「神」をあらわすのに「大日」という言葉を使うのはふさわしくないことに気づき、ラテン語デーウスをそのまま用いることにした。「大日を拝んではなりません。デウスを拝みなさい」とザビエルたちが急に言い出したため、僧侶たちも驚いたという。キリシタンの時代、デウスはダイウスともいわれていたため、キリスト教の反対者たちは「彼らが拝んでいるのは大きな臼(大臼)である」「ダイウソ(大嘘)である」といって誹謗したという話が残っている。なお、デウスの語源である上記ディヤウスと大日如来との関連は定かではない。

その後、宣教師たちや日本人キリスト教徒たちの研究によって「デウス」の訳語としていくつかのものが考えられた。それらは「天帝」「天主」「天道」などであり(語源的には天部である)、「デウス」と併用して用いられた。彼らは「神」という言葉は日本の多神教的神を表すもので、自然や動物、人間にすら当てはめられる言葉なのでデウスの訳語にふさわしくないと考えていた。もっとも、本来のラテン語の「デウス」は、上述の通り古代ローマの多神教の神々を表す言葉であり、一部のローマ皇帝、つまり人間が「デウス」に列せられる事もあった。

明治以降の日本語訳聖書における「神」

明治以降に漢文訳聖書の影響を受けた日本語訳聖書がキリスト教の神を「神」と翻訳し、日本の正教会カトリック教会プロテスタントのいずれにおいても、これが今に至るまで定着している。

参考文献