タタ (ハンガリー)
タタ Tata | |||||
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タタ城址 | |||||
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位置 | |||||
タタ郡の位置 | |||||
座標 : 北緯47度39分9.36秒 東経18度19分25.68秒 / 北緯47.6526000度 東経18.3238000度 | |||||
行政 | |||||
国 | ハンガリー | ||||
県 | コマーロム・エステルゴム県 | ||||
郡 | タタ郡 | ||||
タタ | |||||
市長 | Michl József | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
域 | 78.17 km2 | ||||
標高 | 140 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2010年現在) | ||||
域 | 24,906人 | ||||
人口密度 | 316.75人/km2 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||||
公式ウェブサイト : http://www.tata.hu/ |
タタ (ハンガリー語:Tata、ドイツ語:Totis、ラテン語:Dotis)は、ハンガリー、コマーロム・エステルゴム県の都市。
地理
ブダペストの西約67kmにあり、キシャルフェルド(hu、ハンガリー語で小さな平原)の北部にあたる。ジェレチェとヴェルテシュ山地の近郊、『ハンガリーのトスカーナ』と呼ばれる湖沼地帯にある。
ブダペスト=ブルック・アン・デア・ライタ(オーストリア)間を結ぶ鉄道路線の駅がタタにある。
歴史
タタの定住地としての歴史は11世紀に始まる。起源はベネディクト会派修道院であった。定住地の名が初めて現れたのは1221年である。ハンガリー貴族マッテウス・チャーク(de)が13世紀から1326年までタタを所領とし、城が湖に面して建てられた。ハンガリー王ジグモンド王時代、タタに都市憲章が授けられた。ジグモンド王はタタに宮殿を建設した。1467年から1472年にかけ、マーチャーシュ1世がルネサンス様式の城を設計した。
オスマン帝国のヨーロッパ侵攻の間、城は対トルコの軍事上の要所であった。1727年のトルコ撤退後、タタ城はエステルハージ家の所有となった。以後18世紀後半まで、エステルハージ家は所領を拡大し、当時の壮麗な建築物を建設するにいたった。
統計
2001年のタタ人口は23,937人で、その民族構成は以下のようになっていた。
姉妹都市
- アルクマール、オランダ
- ビストジツェ・ナド・オルシー、チェコ共和国
- ゲルリンゲン、ドイツ
- ダマリー=レ=リス、フランス
- アレンツァーノ、イタリア
- スヴォディーン、スロバキア
- モンテベッルーナ、イタリア
- ソヴァタ、ルーマニア
- ピンツフ、ポーランド