ソールズベリー侯
ソールズベリー侯爵 | |
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創設時期 | 1789年8月10日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | グレートブリテン貴族 |
初代 | 7代ソールズベリー伯ジェイムズ・セシル |
現所有者 | 7代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル |
相続人 | エドワード・ガスコイン=セシル |
相続資格 | 初代侯爵の直系嫡流の男系男子 |
付随称号 | ソールズベリー伯爵(1605年)、クランボーン子爵(1604年)、エッセンドンのセシル男爵(1603年) |
ソールズベリー侯(英:Marquess of Salisbury)は、イギリスの侯爵位の一つ。グレートブリテン貴族。
前身のソールズベリー伯爵位は過去に5回創設されている。ソールズベリー侯爵位は7代ソールズベリー伯(第5期)ジェイムズ・セシルが1789年に叙せられたのに始まる。ソールズベリー侯として最も有名なのは、19世紀末から20世紀初にかけて3度イギリスの首相を務めた3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルである。2015年現在の当主は7代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルである。
歴史
セシル家前
ソールズベリー伯の爵位には複雑な歴史がある。この称号は12世紀の半ばにパトリック・ドゥ・ソールズベリーのために創設された。この称号は女系相続を経て代々継承され、5代目のアリス・ド・レィシーまで続くが、1322年にアリスの夫であるランカスター伯トマス・プランタジネットがエドワード2世に対する反逆罪で処刑されると、彼女もソールズベリー伯の爵位を返上することになった。
1337年、ソールズベリー伯は、国王エドワード3世の寵臣でスコットランドとの戦闘で功のあったウィリアム・モンタキュートのために再創設された。この爵位は後にモンタキュート家と姻戚関係を結んだネヴィル家に引き継がれ、リチャード・ネヴィルが継承する。だがこの時期イングランド国内で薔薇戦争が勃発し、1471年にリチャード・ネヴィルが戦死すると、その爵位と所領は敵方であるヨーク家に没収される。
翌1472年、ソールズベリー伯は国王エドワード4世の弟クラレンス公ジョージに与えられた。クラレンス公ジョージがリチャード・ネヴィルの娘イザベル・ネヴィルの夫であることを法的根拠としたのである。しかしイザベルの妹アン・ネヴィルがクラレンス公の弟グロスター公リチャードと結婚すると、この広大なリチャード・ネヴィルの遺産をめぐって兄弟の対立が激化する。1476年に姉イザベルが死ぬと形勢はクラレンス公にとって不利になり、結局1478年にクラレンス公ジョージは反逆罪で処刑される。
クラレンス公の後ソールズベリー伯を継いだのは、グロスター公リチャードの息子のエドワード・オブ・ミドルハムである。彼は父グロスター公が即位したので、後にプリンス・オブ・ウェールズになるが、1484年に急死し、爵位も消滅する。この爵位は1485年、テューダー朝のヘンリー7世がリチャード・ネヴィルの孫でクラレンス公の息子のエドワード・プランタジネットが継承する。エドワードは1499年に反逆罪で処刑されるが、爵位が正式に消滅したのは1504年のことである。ソールズベリー伯は1513年にエドワードの姉マーガレット・ポールが復活させたが、1539年には剥奪されてしまう。
セシル家
エリザベス1世の宰相初代バーリー男爵ウィリアム・セシルには長男トマス(1542–1623)と次男ロバート(1565–1612)という二人の息子があったが、父の政治的な立場は次男ロバートが引き継ぎ、ロバートはエリザベス朝末からステュアート朝初期にかけて宰相を務めた[1]。
1605年5月4日にセシル兄弟はジェームズ1世より同時に伯爵位を与えた。トマスは「エクセター伯爵(Earl of Exeter)」、ロバートは「ソールズベリー伯爵(Earl of Salisbury)」にそれぞれ叙せられた[2][3]。
以降ロバートの男系男子によってソールズベリー伯爵位は継承されていき、仍孫の7代ソールズベリー伯ジェイムズ(1748-1823)の代の1789年8月25日にソールズベリー侯爵に叙せられた[4]。
2代ソールズベリー侯ジェイムズ(1791-1868)の代の1821年3月にガスコイン家との結婚を機に勅許を得て「ガスコイン=セシル」と改姓している[5]。
3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1830-1903)は、ヴィクトリア朝後期に三度に渡って首相(在職1885-1886、1886-1892,1895-1902)を務めた。彼はボーア戦争や日英同盟時の首相として知られる。彼の登場以降ソールズベリー侯爵家はイギリス政界の中心的存在となり、国際連合創設への貢献でノーベル平和賞を受賞した初代チェルウッドのセシル子爵ロバート・ガスコイン=セシル(1864-1958)(3代侯の三男)や貴族院の停止的拒否権を制限する「ソールズベリー慣行」を確立する5代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1893-1972)等を輩出する。
初代ソールズベリー伯ロバートは、ジェームズ1世との邸宅交換でハートフォードシャーにあるハットフィールド・ハウスを手に入れ、以来現在に至るまでそこが代々の本拠である[6]。
分流にロックリー男爵家が存在する。同家は2代ソールズベリー侯の三男ユースタス(1834-1921)の子イヴリン(1865-1941)が1934年にロックリー男爵に叙せられたのに始まっている[7]。
従属爵位
現在のソールズベリー侯爵セシル家はソールズベリー侯爵位の他に以下の従属称号を持つ。
- ソールズベリー伯爵(1605年創設)
- クランボーン子爵(1604年創設)
- エッセンドンのセシル男爵(1603年創設) エッセンドンはラットランド州の地名
上記のうち、ソールズベリー侯の法定推定相続人が用いる儀礼称号は「クランボーン子爵」である。
系図
一覧
ソールズベリー伯 第1期(1145年頃創設)
- 初代ソールズベリー伯パトリック・オブ・ソールズベリー(? - 1168年)
- 第2代ソールズベリー伯ウィリアム・オブ・ソールズベリー(? - 1196年)
- 第3代ソールズベリー伯ウィリアム・ロンゲペー(1176年頃 - 1226年) - イングランド王ヘンリー2世庶子、2代伯爵の女婿。
- 第4代ソールズベリー女伯マーガレット・ロンゲペー(? - 1310年)
- 第5代ソールズベリー女伯アリス・ド・レィシー(1281年 - 1348年、剥奪 1322年) - 4代リンカーン女伯
ソールズベリー伯 第2期(1337年創設)
- 初代ソールズベリー伯ウィリアム・モンタキュート(1301年 - 1344年)
- 第2代ソールズベリー伯ウィリアム・モンタキュート(1328年 - 1397年)
- 第3代ソールズベリー伯ジョン・モンタキュート(1350年 - 1400年、剥奪 1400年)
- 第4代ソールズベリー伯トーマス・モンタキュート(1388年 - 1428年、復帰 1421年)
- 第5代ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル(1400年 - 1460年)
- 第6代ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル(1428年 - 1471年、1471年 爵位停止)
ソールズベリー伯 第3期(1472年創設)
- 初代ソールズベリー伯ジョージ・プランタジネット(1449年 - 1478年、剥奪 1478年)
ソールズベリー伯 第4期(1478年創設)
- 初代ソールズベリー伯エドワード・オブ・ミドルハム(1473年 - 1484年、1484年 消滅)
ソールズベリー伯 第2期(1485年復帰)
- 第7代ソールズベリー伯エドワード・プランタジネット(1475年 - 1499年、1485年復帰、1499年剥奪)
- 第8代ソールズベリー女伯マーガレット・ポール(1474年 - 1541年、復帰 1513年、剥奪 1539年)
ソールズベリー伯 第5期(1605年創設)
- 初代ソールズベリー伯ロバート・セシル(1565年頃 - 1612年)
- 第2代ソールズベリー伯ウィリアム・セシル(1591年 - 1668年)
- 第3代ソールズベリー伯ジェームズ・セシル(1648年 - 1683年)
- 第4代ソールズベリー伯ジェームズ・セシル(1666年 - 1694年)
- 第5代ソールズベリー伯ジェームズ・セシル(1691年 - 1728年)
- 第6代ソールズベリー伯ジェームズ・セシル(1713年 - 1780年)
- 第7代ソールズベリー伯ジェームズ・セシル(1748年 - 1823年、1789年にソールズベリー侯に)
ソールズベリー侯(1789年創設)
- 初代ソールズベリー侯ジェームズ・セシル(1748年 - 1823年)
- 第2代ソールズベリー侯ジェームズ・ブラウンロゥ・ウィリアム・ガスコイン=セシル(1791年 - 1868年)
- 第3代ソールズベリー侯ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシル(1830年 - 1903年)
- 第4代ソールズベリー侯ジェームズ・エドワード・ヒューバート・ガスコイン=セシル(1861年 - 1947年)
- 第5代ソールズベリー侯ロバート・アーサー・ジェームズ・ガスコイン=セシル(1893年 - 1972年)
- 第6代ソールズベリー侯ロバート・エドワード・ピーター・セシル ガスコイン=セシル(1916年 - 2003年)
- 第7代ソールズベリー侯ロバート・マイケル・ジェームズ・ガスコイン=セシル(1946年 - )
- 法定推定相続人はクランボーン子爵ロバート・エドワード・ウィリアム・ガスコイン=セシル(1970年 - )
脚注
注釈
出典
- ^ ヒバート & 1998下巻, p. 205-206.
- ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 404–405.
- ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 400–404.
- ^ Lundy, Darryl. “James Cecil, 1st Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2015年3月22日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “James Brownlow William Gascoyne-Cecil, 2nd Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ 青木道彦 2000, p. 50.
- ^ UK Parliament. “Sir Evelyn Cecil” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年3月13日閲覧。
参考文献
- 青木道彦『エリザベス一世 大英帝国の幕開け』講談社〈講談社現代新書1486〉、2000年(平成12年)。ISBN 978-4120040290。
- ヒバート, クリストファー 著、山本史郎 訳『女王エリザベス〈下〉大国への道』原書房、1998下巻。ISBN 978-4562031474。
関連項目
- エクセター侯爵:姉妹家
- ハックニーのアマースト男爵:エクセター侯爵家の分流
- ロックリー男爵:ソールズベリー侯爵家の分流