ステファニー・ダブス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年1月29日 (土) 16:17; ウィ貴公子 (会話 | 投稿記録) による版 (→‎外部リンク)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ステファニー・ダブス
基本情報
階級 ライトフライ級
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1980-12-20) 1980年12月20日(43歳)
出身地 オクラホマ州ムーア
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 62
勝ち 27
KO勝ち 15
敗け 26
引き分け 4
無効試合 5
テンプレートを表示

ステファニー・ダブスStephanie Dobbs1980年12月20日 - )は、アメリカ合衆国の女子プロボクサーである。オクラホマ州ムーア出身。

来歴[編集]

2002年3月2日、アーカンソー州フォートスミスサラ・グッドソンと対戦し、0-3の判定負けを喫しデビュー戦を白星で飾れなかった。

2002年5月25日、ラスベガスラスベガス・ヒルトンマンディ・ラポイントと対戦し、プロ初のKO負けとなる初回25秒TKO負けを喫した。

2002年6月22日、アーカンソー州フォートスミスノート・ブラッドショーと対戦し、プロ初の引分となった。

2002年7月27日、オクラホマ州オクラホマシティノート・ブラッドショーと対戦し、プロ初勝利となる3-0(39-35、39-35、39-35)の判定勝ちを収めた。

2002年8月23日、ラスベガスオーリンズ・ホテル・アンド・カジノメリンダ・クーパーと対戦し、初回1分13秒TKO負けを喫した。

2002年11月2日、ルイジアナ州シュリーブポートアンジェラ・カークスと対戦し、プロ初のKO勝ちとなる初回KO勝ちを収めた。

2002年11月15日、オクラホマ州タルサ柴田早千予とノンタイトル5回戦をむ判定試合で行い、ノンタイトル5回戦を無判定試合で行い、勝敗が判定に委ねられた為、無効試合となった。

2003年4月12日、ネバダ州ステートラインディー・ハマグチと対戦し、0-1(37-39、38-38、38-38)の判定で引き分けた。

2003年6月7日、ネバダ州ラフリンディー・ハマグチと対戦し、0-3(35-40、36-39、36-39)の判定負けを喫した。

2003年7月12日、ネバダ州ラフリンホリー・ダナウェイと対戦し、2-0(38-38、39-38、39-37)の判定勝ちを収めた。

2003年11月15日、オクラホマ州タルサ柴田早千予とノンタイトル5回戦をむ判定試合で行い、ノンタイトル5回戦を無判定試合で行い、勝敗が判定に委ねられた為、またも無効試合となった。

2004年1月4日、オクラホマ州ショーニーホリー・ダナウェイと対戦し、0-2(57-57、55-59、55-59)の判定負けを喫した。

2004年4月8日、メリーランド州アナランデル郡グレンバーニーヴァイア・ザガナスWBA女子世界ミニマム級初代王座決定戦を行い、0-3(91-99、90-100、92-98)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2004年6月5日、ミズーリ州ジョプリンサラ・グッドソンと対戦し、0-1(38-38、38-38、37-39)の判定で引き分けた。

2004年6月12日、カリフォルニア州サンノゼサンノゼ州立大学構内にあるイベント・センター・アリーナカリーナ・モレノと対戦し、0-3(53-60、53-60、53-60)の判定負けを喫した。

2004年8月8日、アリゾナ州ツーソンサラ・グッドソンとWEBA世界ストロー級王座決定戦を行い、1-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2005年2月24日、ウクライナキエフアリーナ・シャテーニコバGBU女子世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、0-3(90-100、90-100、90-100)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2005年7月2日、ネバダ州リノリノ・イベンツ・センターエレナ・リードと対戦し、0-3(51-60、51-60、53-60)の判定負けを喫した。

2005年8月16日、オクラホマ州ノーマンイヴォンヌ・カプルスとノンタイトル4回戦を吹判定試合で行い、勝敗が判定に委ねられた為、無効試合となった。

2005年9月3日、ハンガリーブダペストクリスティーナ・ベリンスキーが持つWIBF世界ミニマム級王座並びにGBU女子世界ミニマム級王座に挑戦し、0-3(94-97、93-97、92-100)の判定負けを喫しWIBF世界ミニマム級王座の獲得に失敗、GBU女子世界ミニマム級王座の獲得にも失敗した。

2005年12月3日、マクデブルクビェルデランデハレジュリア・サヒンWIBFインターコンチネンタルフライ級王座決定戦を行い、0-3(91-100、90-100、91-100)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2006年6月18日、オクラホマ州オクラホマシティレミントン・パークディー・ハマグチWIBAインターコンチネンタルライトフライ級王座決定戦並びにWIBAインターコンチネンタルミニフライ級王座決定戦を行い、1-0(78-74、76-76、76-76)の判定で引き分けた為、WIBAインターコンチネンタルライトフライ級王座の獲得に失敗、WIBAインターコンチネンタルミニフライ級王座の獲得にも失敗した。

2006年7月20日、カリフォルニア州レモータチ・パレス・ホテル&カジノカリーナ・モレノNABF女子北米ライトフライ級王座決定戦を行い、0-3(72-80、72-80、72-80)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2007年2月16日、オクラホマ州マイアミのバッファロー・ラン・カジノでニッキ・ヴァーベックと対戦し、2回1分23秒無効試合となった。

2007年2月22日、カリフォルニア州レモータチ・パレス・ホテル&カジノホリー・ダナウェイと対戦し、0-3(54-60、54-60、54-60)の判定負けを喫した。

2007年5月10日、オクラホマ州タルサテリー・モスWIBF世界ミニマム級王座決定戦並びにWIBAインターナショナルストロー級王座決定戦を行い、1-2(93-97、99-91、92-98)の判定負けを喫しWIBF世界ミニマム級王座の獲得に失敗、WIBAインターナショナルストロー級王座の獲得にも失敗した。

2010年4月29日、イスラエルテルアビブノキア・アリーナハガー・シュモールフェルド・ファイナーと対戦する予定だったが[1]、ファイナーが自身の持つWIBF世界バンタム級王座を懸けアグネス・ボザと対戦することが決まった為[2]、中止となった。

2010年7月8日、オクラホマ州チャンドラールート66・インタープレティブ・センターエンジェル・ジェームスと対戦し、2回1分46秒TKO勝ちを収めた。

関連項目[編集]

戦績[編集]

  • 62戦27勝(15KO)26敗4分5無効試合

エピソード[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Eastern Europe update Fightnes.com(英語) 2010年3月15日
  2. ^ RANKED FIGHTERS IN ACTION- April 23 through April 29 The 13th Round(英語) 2010年4月14日

外部リンク[編集]