ジェラルド・ファネンブルグ
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名前 | ||||||
本名 | ジェラルド・メルウィン・ファネンブルグ | |||||
愛称 | ジェラ | |||||
カタカナ | ジェラルド・ファネンブルグ | |||||
ラテン文字 | Gerald Mervin VANENBURG | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ | |||||
生年月日 | 1964年3月5日(60歳) | |||||
出身地 | ユトレヒト | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF、DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1982-1992[1] | オランダ | 42 (1) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェラルド・ファネンブルグ(Gerald Vanenburg、1964年3月5日-)は、オランダ・ユトレヒト出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはMF、DF(リベロ)。オランダ現地での発音は「ヘラルト・ファネンブルフ」。
略歴
アヤックスの下部組織で育ち1980年に1軍デビューを果たすと、直ぐに頭角を現しレギュラーの座を掴むと3度のリーグ優勝に貢献した。この活躍によりオランダ代表に選出され、1982年4月14日のギリシャ戦において代表デビューを果たした。
1986-1987シーズンにはPSVアイントホーフェンへ移籍し中心選手として活躍をみせ、5度のリーグ優勝や1度のUEFAチャンピオンズカップ(1987-88シーズン)優勝などタイトル獲得に貢献。EURO1988でもゲームメーカーとして中盤を組み立て優勝に貢献したが、1990年のイタリアW杯ではポジションを失い1試合の出場に留まった。
1993年には日本代表監督であったハンス・オフトから誘われる形で、当時JFLのジュビロ磐田へ入団。キャリア全盛期での来日ということもあり、そのテクニックあふれるプレーはファンを沸かせたが、1995年に靱帯を故障してからは出場機会が減り、1996年末に退団。Jリーグ通算は86試合14得点。
磐田退団後は故郷のクラブチーム・FCユトレヒトへ移籍した。その後フランスのASカンヌを経て、2000年、ドイツ・ブンデスリーガ・1860ミュンヘンを最後に現役を引退した。
引退後はPSVユースの監督、かつて在籍した1860ミュンヘンの監督を務めた。その後再びPSVの育成部門に復帰したが2006年3月現在フリー。2005年12月にはオランダサッカー協会の指導者ライセンスを取得している。
トピックス
- 涼しい顔で相手を振り回す足元のテクニックを持っていた。オランダのファンからは、ブラジル人張りのテクニシャンと言う意味で「ジェラルディーニョ」の通称で呼ばれることもあった。
- 磐田のチームに与えた影響としてはドゥンガがクローズアップされがちだが、彼もまた当時の欧州のトッププレーヤーの1人として磐田に与えた影響は大きい。特に新人で加入した藤田俊哉を見出したことは特筆される。
- 磐田で意に沿わないながらも1995年以降はリベロを務めたことがきっかけとなり、晩年ドイツでもリベロとしてプレーした。
- ユース時代から在籍していたアヤックスからライバルPSVへ移籍したきっかけは、本人いわく「監督のクライフと喧嘩したから」。
所属クラブ
- 1980年-1986年 アヤックス
- 1986年-1993年 PSVアイントホーフェン
- 1993年-1996年 ジュビロ磐田
- 1996年-1997年 ユトレヒト
- 1997年-1998年 ASカンヌ
- 1998年-2000年 1860ミュンヘン
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1980-81 | アヤックス | エールディヴィジ | 11 | 3 | |||||||
1981-82 | 32 | 13 | |||||||||
1982-83 | 33 | 17 | |||||||||
1983-84 | 34 | 7 | |||||||||
1984-85 | 29 | 12 | |||||||||
1985-86 | 34 | 12 | |||||||||
1986-87 | PSV | 34 | 9 | ||||||||
1987-88 | 34 | 1 | |||||||||
1988-89 | 34 | 10 | |||||||||
1989-90 | 21 | 6 | |||||||||
1990-91 | 29 | 11 | |||||||||
1991-92 | 19 | 7 | |||||||||
1992-93 | 28 | 4 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | ヤマハ | 旧JFL1部 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | |
1994 | 磐田 | - | J | 43 | 8 | 4 | 0 | 1 | 0 | 48 | 8 |
1995 | 21 | 1 | - | 2 | 1 | 23 | 2 | ||||
1996 | 22 | 5 | 12 | 3 | 0 | 0 | 34 | 8 | |||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1996-97 | ユトレヒト | エールディヴィジ | 9 | 2 | |||||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1997-98 | カンヌ | ディヴィジョン・アン | 26 | 6 | |||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
1998-99 | 1860ミュンヘン | ブンデスリーガ | 27 | 2 | |||||||
1999-00 | 15 | 0 | |||||||||
通算 | オランダ | エールディヴィジ | 381 | 114 | |||||||
日本 | J | 86 | 14 | 16 | 3 | 3 | 1 | 105 | 18 | ||
日本 | 旧JFL1部 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | ||
フランス | デヴィジョン・アン | 26 | 6 | ||||||||
ドイツ | ブンデスリーガ | 42 | 2 | ||||||||
総通算 | 535 | 136 |
指導歴
- 2001年-2004年 PSVアイントホーフェン ユース監督
- 2004年 TSV1860ミュンヘン 監督
- 2006年-2007年 ヘルモント・スポルト 監督
- 2008年 FCアイントホーフェン 監督
- 2008年 ヴィレムII コーチ
関連項目
出典
- ^ “Gerald Vanenburg - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation