シッスル勲章

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シッスル勲章の大綬章と星章(向かって左上)を着けたダグラス・ヘイグ (Douglas Haig)

シッスル勲章 (Order of the Thistle)スコットランドの最高勲章。正式のタイトルは”The Most Ancient and Noble Order of the Thistle”グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に於いては、イングランドガーター勲章に次ぐ2番目に高位の騎士団勲章 (order) である。ヨーロッパの騎士団勲章は中世の騎士団に由来、あるいはその制度に倣った栄典で、騎士団(勲爵士団)へ入団することが栄誉であり、記章はその団員証として授与されるものである[1]。すなわち、この勲章に叙勲されるということは、シッスル騎士団への入団を意味する。

日本語では「アザミ勲章」、「シスル勲章」又は「シッスル騎士団」若しくは「シスル騎士団」、「アザミ騎士団」と表記されることもある。また、現在のものが制定される以前にも同名の勲章が存在していたため、区別するためにその時代のものを”アザミ勲章”と表記している例も見られる[2]

歴史

1822年のスコットランド訪問に際して、ハイランダーの衣装にシッスル勲章を着用したジョージ4世

その制定日時は定かではない。伝説の一つでは、809年にスコットランドのアカイウス王 (Achaius) がシャルルマーニュ帝との同盟に際して設けたとされている[3]。809年説には更に、ウェスト・サクソン王との戦いの前夜、アカイウス王の夢にセント・アンドリュー(聖アンデレ)が現れ、翌日の戦いに勝利したことから、これを記念して制定されたとの説もある。そして、現行勲章の守護聖人もセント・アンドリューとなっている[4]

一方、アザミをスコットランドの国花に制定したジェームズ3世が勲章も制定したという可能性も否定できないともされている。1535年には孫のジェームズ5世フランスフランソワ1世”Order of the Burr or Thissil”を贈ったという記録が残っている[3]

しかし、これらは正式な記録がないことから、あくまでも伝説に過ぎないとの見方もある[5]

また、15世紀から16世紀、あるいはそれ以前からスコットランドには複数の勲章が存在していたが、そのうちのアカイウス王が制定した”セント・アンドリュー勲章”とジェームズ3世が制定した”アザミ勲章”が1687年に統合されてシッスル勲章となったという説もある[6]。その後スコットランドの勲章は、宗教改革 (Scottish Reformation) 期には運用が停止されていた[3]

1687年、イングランド・スコットランド・アイルランドジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ7世)は、スコットランドの栄典制度を全面的にリニューアルし、シッスル勲章が正式に制定された。そして、政治及び宗教に関して国王(カトリック)に与するスコットランド貴族へ贈られた。しかし、翌年の名誉革命によるジェームズ2世の廃位に伴い、シッスル勲章は一旦廃止された。

1703年、アン女王によってシッスル勲章は復活した。そして、初期のハノーヴァー朝においては、プロテスタントに与したスコットランド貴族への報酬として利用された。一方ジャコバイト側でも1715年と1745年の反乱の際、老僭王若僭王親子によりシッスル勲章の叙勲が行われた。

1822年、ジョージ4世が英国王としてはジャコバイトの乱以降始めてスコットランドを訪問した。この際国王が着用したことにより、シッスル勲章の権威は復活した。1827年、ジェームズ2世以来12名だった騎士団の定員が16名に増やされた。

概要

X型の十字架に磔にされた聖アンデレ。この故事がX字型のセント・アンドリュー・クロスの由来になった。

騎士団のモットーは”Nemo me impune lacessit”(何人も咎無く我を害せず[7])。勲章は大綬の色からグリーンリボンとも呼ばれる。

シッスル騎士団員の称号は男性が”Knight of the Thistle”、女性が”Lady of the Thistle”で、騎士のポスト・ノミナル・レターズ[注 1]はそれぞれ”KT”及び”LT”と表記される。

守護聖人はスコットランドの守護聖人でもあるセント・アンドリュー(聖アンデレ)で、新たな叙勲はセント・アンドリューの日(11月30日)に発表されている。騎士団の礼拝堂はエディンバラにあるセント・ジャイルズ大聖堂のシッスル・チャペルで、新たな騎士の叙任式等のセレモニーがここで行われる。チャペルの壁には騎士のバナーヘルメットクレスト、及びプレートが飾られている。

ガーター勲章がイングランド人以外の連合王国民や外国元首にも贈られるのに対し、現行のシッスル勲章がスコットランド人の血を引く者以外へ授与されることは無く、外国元首としてはノルウェーオーラヴ5世への授与が唯一の例外である。女性も叙勲されることは王妃でさえほとんど無く、ジョージ6世エリザベス・ボーズ=ライアンが叙勲されたのはスコットランド貴族の出であることによるもので、非常に稀な例である。正式に女性への叙勲が制度化されたのは1987年のことである。

勲章

大綬章と星章を着用したスコットランドのジョン・ホープ侯爵。頚飾は植民地の行政官や総督を歴任して授与された聖マイケル・聖ジョージ勲章のもの。

勲章は頚飾とその記章、星章及び大綬章から構成されている。その他に、騎士団の正装として濃緑色のローブと帽子及び赤紫のフードが定められている。頚飾は騎士団の正装以外には通常着用しない。

頚飾はアザミがモチーフとなった金の鎖で、先端にセント・アンドリュー・クロス(聖アンデレ十字)を抱えたセント・アンドリューの記章が付く。

大綬章はモットーが刻まれた環の中にセント・アンドリュー・クロスを抱えたセント・アンドリューが配され、緑のサッシュ(大綬)で吊して佩用する。佩用の際は大綬章は左肩から右腰に掛けるが、これはその国に於ける特別な勲章を佩用する際にのみされるものである。イギリスではガーター勲章とシッスル勲章のみが左肩から右腰に掛けられ、次位の聖パトリック勲章(運用停止中)並びにバス勲章ナイト・グランド・クロス章(現行の次位勲章)、及びそれ以下の勲章の大綬章は右肩から左腰に掛けられる。

星章は、中心に七宝でアザミの花が描かれ、縁にモットーが刻まれた金のメダルが交点に配された銀製のセント・アンドリュー・クロスの背後から銀色の光線が出ている構成である。

注釈

  1. ^ Post-nominal letters/名前の後に付ける爵位、勲位、学位等の略称。

脚注

  1. ^ 小川 P 87-119
  2. ^ 君塚 p 250
  3. ^ a b c 英王室公式サイト
  4. ^ 君塚 p 250
  5. ^ 「あざみ勲章」の項
  6. ^ 君塚 p 250
  7. ^ 君塚 p 251より

参考資料

書籍

  • 小川賢治『勲章の社会学』晃洋書房、2009年3月。ISBN 978-4-7710-2039-9 小川
  • 君塚直隆『女王陛下のブルーリボン-ガーター勲章とイギリス外交-』NTT出版、2004年。ISBN 4757140738 
  • 森護『英国王室史事典-Historical encyclopaedia of Royal Britain-』大修館書店、1994年7月。ISBN 4469012408 

外部リンク

関連項目