コールマン・ホーキンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。K-iczn (会話 | 投稿記録) による 2015年4月10日 (金) 14:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

コールマン・ホーキンス
Coleman Hawkins
出生名 Coleman Randolph Hawkins
生誕 1904年11月21日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミズーリ州
死没 (1969-05-19) 1969年5月19日(64歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州
ジャンル ジャズスウィング・ジャズビバップ
職業 バンドリーダーコンポーザーサイドマン
担当楽器 テナー・サックス
共同作業者 フレッチャー・ヘンダーソン

コールマン・ホーキンスColeman Hawkins1904年11月21日 - 1969年5月19日)は、アメリカ合衆国ミズーリ州出身のジャズサックス奏者。スウィング・ジャズ世代のミュージシャンとしては珍しく、第二次世界大戦後はビバップの分野で活躍し、サックス奏者に限らず、多くの後進ミュージシャンに影響を与えた。

来歴

1922年ニューヨークに進出し、当初はブルースの分野で活動。1923年フレッチャー・ヘンダーソン楽団に加入。翌年、この楽団にルイ・アームストロングが加入。ニューオーリンズ・ジャズに根ざしたアームストロングのスタイルに影響を受け、ホーキンスも、荒々しさと洒落っ気を兼ね備えた演奏スタイルを確立。やがてフレッチャー・ヘンダーソン楽団の看板奏者に成長していった。

1934年からはヨーロッパに渡り、ジャンゴ・ラインハルトステファン・グラッペリとも共演。1939年に帰国すると、バンド・リーダーとして、後にスタンダード・ナンバーとなる「ボディ・アンド・ソウル」等を録音。

1940年代には、ビバップという新しいジャズが登場。ホーキンスもこの流れに注目し、セロニアス・モンクマックス・ローチ等の若手を育てる。1957年、教え子的存在であるセロニアス・モンクのリーダー・アルバム『モンクス・ミュージック』に、ジョン・コルトレーンアート・ブレイキーと共に参加。

1958年には代表作でもあるハイ・アンド・マイティ・ホークに、古くから親交のあったハンク・ジョーンズらと録音。

1960年前後には、トミー・フラナガン等と結成したレギュラー・カルテットで活動し、また、マックス・ローチやバド・パウエルのアルバムにも参加。1962年にはデューク・エリントンと共演。1963年には、ホーキンスの信奉者として知られるソニー・ロリンズと共演。

1960年代後半は活動が停滞し、1969年肺炎で亡くなる。

代表作

  • Body And Soul (1946年)
  • ハイ・アンド・マイティ・ホーク - The High And Mighty Hawk(1958年)
  • ジェリコの戦い - Hawkins! Live! At The Village Gate(1962年)

その他編集盤多数

外部リンク