ゲランド

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Guérande



地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) ロワール=アトランティック県
(arrondissement) サン・ナゼール郡
小郡 (canton) ゲランド小郡
INSEEコード 44069
郵便番号 44350
市長任期 Christophe Priou
2008年 - 2014年
人口動態
人口 15 534人
2010年
人口密度 191人/km2
地理
座標 北緯47度19分 西経2度25分 / 北緯47.32度 西経2.42度 / 47.32; -2.42座標: 北緯47度19分 西経2度25分 / 北緯47.32度 西経2.42度 / 47.32; -2.42
標高 平均:?m
最低:0m
最高:61 m
面積 81.44km2 (8 144ha)
Guérandeの位置(フランス内)
Guérande
Guérande
公式サイト ゲランド公式サイト
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ゲランドGuérandeブルトン語: Gwenrann)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県のコミューン。ブルトン語の地名Gwenrannは、「白い土地」を意味する。

概要

ゲランドの塩湖

無傷のまま残る城壁で囲まれており、4つの城門、10の塔がある。旧ブルターニュ公国の州ゲランデ(Guérandais)の州都であった。

西は大西洋、東はブリエール湿地、北をヴィレーヌ川に囲まれている。南へはリゾート地ラ・ボール=エスクブラックfr)へ向けて砂浜が伸びる。ゲランドには塩田があり、伝統的にフルール・ド・セル(塩の花)と呼ばれる良質の塩ができることで有名である[1]

歴史

ケルブールにあるメンヒル
ゲランドを包囲するヴァイキング、聖アルビヌスの生涯を描いた壁画からの一部

新石器時代から人の定住があった。メンヒルドルメンが周辺に多い。486年のソワソンの戦いでは、フランククローヴィス1世と、ガロ=ロマン系ソワソン王国の司令官シアグリウスが戦い、結果として長くローマ帝国飛び地ソワソン管区)となっていたソワソンを含むネウストリアがフランク支配下に置かれることとなった。6世紀からブリトン人のアルモリカ移住(fr)が始まる。814年カール大帝が死去すると、ブリトン人首長モルマン(fr)がブルターニュ王を自称してフランクとの戦いを始めた。彼は818年に戦いに敗れ殺害されるが、その後幾度もブルターニュはフランク支配に対して反乱を起こした。

ゲランドを含むネウストリアはフランク王国に従属するナント伯、そしてブルターニュ辺境伯が治めることとなった。10世紀からたびたびヴァイキングの襲来を受けた。919年には聖アンジェのアルビヌス(フランス語名:オーバン)(fr)にとりなしを願ったところ、町は襲撃から守られたという故事から、アルビヌスを守護聖人とするようになった。10世紀半ば以降より、ガロ=ロマン系のレンヌ伯家が治めるブルターニュ公国の領有となる。ブルターニュ継承戦争ではゲランドも戦禍に巻き込まれ、1342年春のゲランドの虐殺では、シャルル・ド・ブロワ(ブルターニュ女公ジャンヌ・ド・パンティエーヴルの夫)指揮下にあるスペインジェノヴァ共和国混成軍がゲランドを包囲した。ゲランド要塞には4,000人から5,000人とも言われる住民が立てこもった。その後、第一次ゲランド条約第二次ゲランド条約が締結された。

最後の独立したブルターニュ女公アンヌがフランス王シャルル8世と結婚したことから、ブルターニュはフランスへ併合された。ブルボン朝時代には、エタ・ド・ブルターニュ(fr)という地方三部会を持っていた。

1879年、近郊の保養地ラ・ボール=エスクブラック英語版フランス語版との間に線路が敷かれ、ゲランドに駅(Gare de Guérande)ができた。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
6389 6499 7644 9145 11665 13655 15226 15534

参照元:1999年までEHESS[2]、2000年以降INSEE[3][4]

見どころ

ゲランドは、4つの門をもつシテ(cité)と呼ばれ、城壁の長さはカルカソンヌを上回る。

  • サントーバン・ド・ゲランド教会 - 6世紀に建設。14世紀のブルターニュ継承戦争で破壊された後、1380年に再建。1853年、フランスの歴史記念物に指定された。
  • ノートルダム・ラ・ブランシュ礼拝堂 - 14世紀建設のゴシック様式。中世のさらし台がある。
  • サン=ジャン礼拝堂と、旧サン=ジャン病院 - 15世紀

ゲランドの塩湖は、EU内の環境自然保護ネットワークNatura 2000に指定された湿地であり、1995年にラムサール条約の登録地となった。

ギャラリー

姉妹都市

脚注

  1. ^ 『湿原力』 2013, p. 132.
  2. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=16345
  3. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  4. ^ http://www.insee.fr

参考文献

  • 辻井達一『湿原力 神秘の大地とその未来』北海道新聞社、2013年。ISBN 978-4-89453-689-0 

外部リンク