イスラエルサッカー協会
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名称 | ||||
ヘブライ語表記 | ההתאחדות לכדורגל בישראל | |||
英語表記 | Israel Football Association | |||
略称 | IFA | |||
FIFAコード | ISR | |||
歴史 | ||||
設立 | 1928年 | |||
FIFA加盟 | 1929年 | |||
AFC加盟 | 1956年-1974年9月14日除名 | |||
UEFA加盟 | 1992年 | |||
組織 | ||||
国または地域 | イスラエル | |||
本部 | ラマト・ガン | |||
会長 | Avraham Luzon | |||
公式サイト |
イスラエルサッカー協会(ヘブライ語: ההתאחדות לכדורגל בישראל, ラテン文字転写: HaHit'aḥdut leKaduregel beIsrael)は、イスラエルのサッカー統括団体である。略称はIFA。
イスラエル・プレミアリーグ、イスラエル・ステートカップ、トトカップ、サッカーイスラエル代表を組織する。ラマトガンに本部を構える。イギリス委任統治領時代の1928年にエレツ・イスラエル/パレスチナサッカー協会として設立された。
歴史
1928年8月にエレツ・イスラエル/パレスチナサッカー協会として設立され、FIFAに加盟を申し込んだ。これは1929年6月6日にエレツ・イスラエル/パレスチナサッカー協会として認められた。最初のエレツ・イスラエル/パレスチナサッカーリーグは1932年に始まった。
1954年第2回マニラアジア大会がきっかけで、大会中の1954年5月8日に他の12か国と共にアジアサッカー連盟(AFC)を設立したが、加盟はしなかった(なお、アジアサッカー連盟(AFC)は政治的配慮から現在もなお、イスラエルをAFC創立メンバーとしては認めていない)[1]。それから2年後の1956年にイスラエルサッカー協会はAFCに加盟した。サッカーイスラエル代表はアジア代表として1970年FIFAワールドカップ・メキシコ大会に出場した。だが、イスラエル=アラブ紛争(パレスチナ問題及び中東戦争等)により周辺アラブ諸国との関係が悪化し、アラブ諸国(ほかにインドネシアや北朝鮮や中国)を中心としたボイコット(対戦拒否、大会参加拒否)が激化していった。それにより、AFCに所属しながらも1972年よりAFCアジアカップへの出場を辞退せざるを得なくなった。1973年10月に第四次中東戦争が起こると、もはや対戦不可能な状態に陥った。そして、1974年9月14日、イランアジア大会の開催期間中にイランの首都テヘランで開催されたAFC総会で除名された。なお、このアジア大会でイスラエルは決勝でイランと対戦しており、0-1で敗れた。この試合がAFCとしての最後の試合となった。AFC除名以降は、地域連盟未所属のまま活動することになった。
FIFAワールドカップ予選においては1970年、1974年、1978年にはアジア・オセアニア枠へと組み込まれたものの、1950年、1954年、1966年、1982年にはヨーロッパ枠に組み込まれ、その後、オセアニアサッカー連盟(OFC)の暫定メンバーとして、1986年、1990年はオセアニア予選に参加し、遠方への遠征を強いられることとなった。このためイスラエルサッカー協会は欧州サッカー連盟(UEFA)への加盟を希望しており、1992年にこれが認められた。以後、イスラエルのクラブはUEFAのさまざまなクラブ大会に参加し、イスラエル代表は欧州選手権や欧州代表としてのワールドカップ出場を目指している。なお、UEFA加盟後、サッカーイスラエル代表はFIFAワールドカップおよびUEFA欧州選手権には出場できていない。