SSカーズ

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1939 SS "Jaguar" 3½ litre saloon

SSカーズ・リミテッドSS Cars Ltd )は英国自動車メーカースワロー・サイドカー・カンパニーから発展してできた会社で1934年にこの名前で登録されている。1945年に社名をジャガー・カーズ・リミテッドに変更した。

1928年に創業地のブラックプールから英国自動車産業の中心地コヴェントリーに移転した「スワロー・サイドカー・カンパニー」は、スタイリッシュなサイドカー製造をおこなって成功していた。そこから4輪車の分野に進出して他社製作のシャーシにボディを製作する「コーチビルダー」となり、1932年に自社初の自動車を製作した。

最初のシリーズはSS1と呼ばれたが、そのエンジンとシャーシは中堅の量産車メーカーであるスタンダード社から供給された平凡な実用型で、コヴェントリーの工房でボディのみの架装を施したものであった。

経営者でデザインを主導したウィリアム・ライオンズWilliam Lyons )の指揮の下、SS1は流麗で美しいスタイルを実現し、しかも高価な高級車もどきの外見からは想像しがたいほどリーズナブルな価格で市場に提供した。もっとも、長大なボンネットフードを開くと中に収まっているのはさして大きくもないスタンダード6気筒エンジンという「見かけ倒し」であった。本物の高級スポーツカーのオーナーたちや評論家からは「性能の伴わない飾り物」と酷評されたが、市場での人気は高く、不況で競合各社に倒産する事例も出現する中、SSはおかげで大恐慌時代を生き抜くことができた。

SSシリーズの第一作は1932年のSS1で2リッターまたは2½(2.5)リッターサイドバルブ6気筒エンジンを搭載していた。当初はクーペツアラーで1934年にサルーンが追加され、この時点でシャーシが50ミリ延長されている。1932年にはより小型のエンジンのSSIIもシリーズに追加されていた。

「格好ばかりの偽物メーカー」と見なされていたSSは、やがて本格的スポーツカー開発に乗り出した。ウィリアム・ヘインズハリー・ウェスレイクがスタンダードの既存エンジンをベースにOHVの新型ヘッドを開発するなど大幅強化する改良を施し、スポーツカーエンジンとして通用する内容に仕上げた。

第一作は1935年のSS90で、これは最高時速90マイルからつけられた名前である。しかし23台が製作されただけであった。SS90の後継は1936年の「ジャガー・SS100」で「ジャガー」という名前をつけられたはじめての車である。ジャガー・SS100は当時の水準でも、また後世から見ても極めてデザインの優れた車であり、しかも新しいシャーシと強力なエンジンの装備で、上級モデルは最高時速100マイル、0-60mph加速11秒の高性能を実現した。2½(2.5)リッターモデルが198台、3½(3.5)リッターモデルが116台製作された。

しかもこれらは名実共に第一線で通用する本格的スポーツカーとなりながら、価格は同クラスの既存スポーツカーより引き続き廉価に設定されており、競合メーカーにとっての大きな脅威となった。

もっとも生産の主流はサルーンであり、1936年に1½(1.5)リッターモデルが発売された。そのエンジンは当初スタンダード流用の4気筒のサイドバルブエンジンだったが、1938年にはOHVエンジンとなる。一方、2½(2.5)リッターのサルーンははじめから6気筒OHVエンジンで登場し、1938年にシャーシが新しくなり3½(3.5)リッターがオプションで追加されている。

第二次世界大戦勃発後の1940年、自動車生産は中止されたが、終戦後の1945年に再開する。SSという従前のブランドが、同じく「SS」を略称として悪名高いナチス親衛隊を連想させることからこれを改め、新社名は「ジャガー」とされた。戦前の1½、2½、3½リッターのサルーンを生産再開し、これらは非公式だが「マークIVジャガーズ(Mark IV Jaguars )」と名づけられていた。サイドカーの製造もスワロー(Swallow )のブランド名で引き続きおこなわれており、新会社ではスポーツカータイプのスワロー・ドレッティを販売した。

製品[編集]