蛇穴山古墳

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蛇穴山古墳
Maebashi Zyaketuzan Kohun 1.jpg
蛇穴山古墳(2014年5月)
位置 北緯36度24分24.5秒
東経139度2分23.3秒
座標: 北緯36度24分24.5秒 東経139度2分23.3秒
所在地 群馬県前橋市総社町
形状 方墳
規模 一辺39m、高さ5m
築造年代 7世紀末~8世紀初頭
埋葬施設 両袖型横穴式石室
史跡指定 1974(昭和49)年国指定
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蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)は、群馬県前橋市総社町にある方墳である。国の史跡に指定されている。総社古墳群を構成する1基。

概要[編集]

利根川の西方約600m、榛名山東南麓に位置する。墳丘は2段築成と考えられ、一辺約39mの規模をもつ[1]。基壇葺石根石に接して幅1m前後のテラス状平坦面があり、その外側に幅約12mの周堀の跡がある。埴輪は検出されていない。

主体部は両袖型横穴式石室であるが羨道部を欠く。石室前面には羨道部痕跡とも考えられる幅1.57m、長さ1.07mの一区画を配し、その前に奥幅2.12m、前幅6.30m、奥行き3.09mの台形プランの前庭部がある。両者共に両側壁には切石を使用している。玄室は全長3.0m、幅2.57mで両側壁、奥壁、天井、入り口部の左右袖壁を兼ねた玄門、その上の冠石はいずれも一石ずつで、都合7枚の輝石安山岩の巨石を巧みに加工・組み合わせて構築している。石材の表面は軽く水磨きを行ない、玄門の石には門の柱および冠木に相当する部分を刳り出すなど、入念な工作を行なっている[2]。また宝塔山古墳と同様に漆喰塗布の痕跡がある。

7世紀末から8世紀初の築造と推定される、当地区における最末期の古墳である[3]。周囲には総社二子山古墳、宝塔山古墳、山王廃寺跡、そして上野国分寺跡・同尼寺跡があり、古代上野国の文化的・行政的中枢と考えられる地域でもある。

脚注[編集]

  1. ^ 大塚初重小林三郎・熊野正也編『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年9月、281-282頁
  2. ^ 蛇穴山古墳 - 国指定等文化財データベース
  3. ^ 『図説日本の史跡 2 原始2』(同朋舎出版、1991)、pp.92 - 93

関連項目[編集]

外部リンク[編集]