箱根丸

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箱根丸
基本情報
船種 貨客船
クラス H型貨客船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 日本郵船
運用者 日本郵船
 大日本帝国海軍
建造所 三菱造船長崎造船所
母港 東京港/東京都
姉妹船 榛名丸
筥崎丸
白山丸
信号符字 SHVW→JHGD[1]
IMO番号 28453(※船舶番号)[1]
建造期間 477日
就航期間 8,063日
経歴
起工 1920年7月12日[1]
進水 1921年7月25日[1]
竣工 1921年10月31日[1]
処女航海 1921年11月29日
最後 1943年11月27日被弾沈没
要目
総トン数 10,423トン
純トン数 6,306トン
載貨重量 11,530トン
垂線間長 150.88m
型幅 18.89m
型深さ 11.28m
高さ 32.61m(水面からマスト最上端まで)
9.75m(水面から船橋最上端まで)
21.94m(水面から煙突最上端まで)
喫水 8.88m
ボイラー 石炭専燃缶
主機関 三菱パーソンズ式3気筒高中圧串型(後進混成)タービン機関 2基
推進器 2軸
出力 8,178SHP[1]
最大速力 16.1ノット[1]
航海速力 14.0ノット(満載)
航続距離 14.5ノットで10,000海里
旅客定員 一等:118名
二等:55名
三等:134名
乗組員 195名
1942年8月28日徴用。
高さは米海軍識別表[2]より(フィート表記)。
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箱根丸(はこねまる)は、かつて日本郵船が所有・運航した貨客船大正後期から昭和初期に欧州航路で使用された。姉妹船に筥崎丸榛名丸白山丸。これらは頭文字がHであることから「H型船」とも呼ばれた。

なお日本郵船の「箱根丸」には、1968年竣工の初代コンテナ船、1983年竣工の2代目コンテナ船も存在する。

概要[編集]

日本郵船は第一次世界大戦中に八坂丸(1万2千トン)、宮島丸(8千トン)、平野丸(同)をドイツ軍に撃沈されたため、1万トン級の貨客船3隻(箱根丸、筥崎丸、榛名丸)の建造を決定し、三菱造船長崎造船所に発注した[3]。諏訪丸級を改良したもので、三菱製パーソンス式タービン機関を採用した。三菱長崎では3隻と同型のストックボート1隻を建造し、後にこれも日本郵船が購入した(白山丸)。

船歴[編集]

箱根丸はH型船第1船として1920年(大正9年)7月12日に起工[1]1921年(大正10年)7月25日に進水し[1]、同年10月31日に竣工した[1]

竣工後の箱根丸は同年11月29日神戸を出航、ロンドンに向けて処女航海に出た。以後、20年にわたって欧州航路に使用された(47航海)。

1939年(昭和14年)に第二次世界大戦が勃発。欧州航路としては1940年(昭和15年)5月30日の出航が最後となった。同年12月から翌1941年(昭和16年)までボンベイ航路に使用された(3航海)。同年にはダバオマニラの日本人の内地引揚げに使用された。

1942年(昭和17年)8月28日、海軍に徴用され、横須賀鎮守府所管の海軍一般徴用船となる。同年10月19日、解傭。同年11月に軍の徴用を受けないまま軍事輸送に従事する陸軍配当船に指定。同年11月27日高雄から門司へ向かう途中、台湾海峡で空爆を受ける。9時45分頃に右舷中央部付近に至近弾を受けて破孔から浸水し航行不能となり、17時15分に沈没した。乗客832名に人的被害はなかったという。沈没地点は烏嶼南沖15km地点付近、北緯25度04分 東経119度40分 / 北緯25.067度 東経119.667度 / 25.067; 119.667

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 箱根丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月23日閲覧。
  2. ^ Hakone_Maru_class
  3. ^ 工業雑誌 55(706)[1]

参考文献[編集]

  • 船舶技術協会『船の科学』1999年9月号 第52巻第9号[2]
  • 造船協会『日本近世造船史 附図』1935年[3]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 箱根丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年10月23日閲覧。
  • 箱根丸”. 戦没した船と海員の資料館. 2023年10月23日閲覧。