甲府徳川家

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徳川氏
(甲府徳川家)
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本姓 清和源氏
藤原氏
賀茂氏
家祖 徳川綱重
江戸幕府第 3代 徳川家光の 3男)
種別 武家
出身地 武蔵国江戸
主な根拠地 甲斐国山梨郡板垣郷
凡例 / Category:日本の氏族

甲府徳川家(こうふとくがわけ)は、江戸時代大名甲斐国甲府藩主家(甲府城主)。25万石(のちに35万石)徳川将軍家の一支系で、4代将軍家綱の弟綱重とその子綱豊(のちの将軍家宣)の2代を指す。単に甲府家ともいわれる。


沿革[編集]

江戸幕府3代将軍徳川家光の三男・綱重を家祖とする。家格は親藩石高は25万石。

近世甲斐国武田氏滅亡後、豊臣系大名支配を経て一国が幕府直轄領となり、甲府城代や四奉行・初期代官による在地支配が行われた。慶長8年(1603年)には家康の子五郎太(徳川義直)が、元和2年には将軍秀忠の子である忠長が甲斐を拝領したが、いずれも自身は在国せず城代・代官衆によって在地支配が行われた。寛永9年に忠長が改易されると甲斐は城番制(第二次甲府城番制)による支配となる。

慶安4年(1651年)、綱重の兄家綱が将軍職に就任すると、左馬助綱重は弟の右馬助綱吉とともに厨領として6か国で都合15万石を拝領、ここに甲斐の所領が含まれる[1]寛文元年(1661年)に綱重は10万石を加増され甲府城を城地に賜り甲府藩が立藩された。ここに甲府徳川家は独立した大名となる。綱重領の内訳は府中領として甲斐巨摩郡山梨郡の14万石5000石、江戸屋敷地近郊で保持する鷹場のあった武蔵国羽生3万1000石のほか、駿河国に6000石、近江国に3万石、信濃国に3万7000石の飛び地があり、これら賄い領を合わせて都合25万石となる[2]。また、甲斐国には中世以来の土豪的性格を維持する旗本領が散在していたが、寛文元年に甲斐の旗本領は上知され、旗本らは関東各国に分散され居館も取り払われた。これは幕府による旗本の自立的性格を否定することを意図したものと考えられている[3]

ただし綱重自身は江戸桜田邸に居住したので「桜田殿」と通称され、甲府に入ったことはなく、在地支配は家老衆に城番制時代の代官衆を加えて行われていた。綱重と弟の綱吉は常に同等の加増や叙位叙任を経ており、綱重の甲府徳川家は綱吉の館林徳川家とともに御両典として、御三家に次ぐ高い家格をもっていた。綱重の死後、第二代藩主となったのは長男の綱豊だったが、綱豊も甲府に赴くことはなく、御浜御殿に居住し「御浜御殿綱豊卿」と呼ばれた。宝永元年(1704年)、綱豊が五代将軍・徳川綱吉世子となり、次いで将軍職を継承して江戸城西之御丸へ移ったため、甲府徳川家はここに絶家となり甲府徳川家の家臣団は幕臣として再編成された。

一方、甲府には綱豊と入れ替わりに綱吉の側用人を務めた武蔵国川越藩主(埼玉県川越市)の柳沢吉保が15万石で入り、翌宝永2年3月12日には駿河の領地が甲斐に一元化され、さらに郡内谷村藩秋元氏を吉保の旧領川越藩に転封し、郡内領を幕府直轄領とした上で吉保の預地とし甲斐は一元支配となった。

なお、家宣の弟清武越智松平家を起こし、この家は幾度の転封を経て石見浜田藩主となり、明治維新まで続いた。

甲府徳川家の家臣団には間部詮房新井白石らがおり、書上には元禄8年9月『甲府様御人衆中分限帳』[4]、元禄16年8月宝永元年12月推定『甲府殿御分限帳』[5]、田安徳川家所蔵『甲府黄門侍郎様臣下録』[6]などがある。甲府徳川家家臣団には内部紛争が多く、寛文元年(1670年)には、家老職の大田吉成壱岐守)・島田時郷淡路守)両名が綱豊継嗣を排除して綱重乱心を訴える綱豊継嗣事件が発生しており、大田・島田両名は家老職を解任され毛利家に預りとなっている[7]

甲府徳川家による甲府藩政期には寛文4年(1664年)から元禄年間に検地が実施されているが、甲府徳川家は課税強化を行い延宝2年(1674年)には甲府城番と代官側の抗争も発生している。万治元年(1660年)1月の甲府城下での大火後の復旧や甲府上水の整備、徳島堰をはじめ朝尾堰楯無堰など用水堰の開鑿による新田開発が実施された。

関係資料[編集]

甲府徳川家に関する家政・藩政史料などの文書群や日記類は綱重の将軍就任に伴い幕府へ移管されたものと考えられており、その大半の所在は不明だが、部分的に山梨県内や国立公文書館内閣文庫に残されている。甲府徳川家に関する日記類は享和3年(1803年)に勘定奉行中川忠英による筆写の「甲府日記」が部分的に伝存しているほか『甲府御館記』、『人見私記』などがあり[8]。江戸城の紅葉山文庫には『桜田御殿日記』468冊が架蔵されていたと言われるが[9]、その後江戸城は幾度かの火災に見舞われており、今日その原本の所在や実在は不明となっている。

歴代当主[編集]

  1. 徳川綱重
  2. 徳川綱豊

参考文献[編集]

  • 斉藤司「甲府藩主徳川綱重・綱豊の政治」『山梨県史通史編3近世1』第一章第三節

出典・補注[編集]

  1. ^ 『大猷院殿御実記』。
  2. ^ 綱重領については「甲府殿御領地割」『山梨県史』資料編8近世1領主-645号。
  3. ^ 深井雅海「甲斐国における旗本領の上地について」『徳川林政史研究所紀要』昭和50年度。
  4. ^ 山梨県立博物館寄託甲州文庫『甲府市史』資料編第二巻-108号。
  5. ^ 『甲斐叢書』7巻。
  6. ^ 『山資』8 - 646号。
  7. ^ 『甲府殿家老両人御預申渡覚』『山資』8 - 647。
  8. ^ 国立公文書館内閣文庫所蔵、『山資』8 には在地支配・家臣団に関する内容を中心に抄録。
  9. ^ 福井保執「江戸幕府日記」『国史大辞典』。