熊野市立泊小学校

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熊野市立泊小学校
地図北緯33度53分43.2秒 東経136度7分36.8秒 / 北緯33.895333度 東経136.126889度 / 33.895333; 136.126889座標: 北緯33度53分43.2秒 東経136度7分36.8秒 / 北緯33.895333度 東経136.126889度 / 33.895333; 136.126889
過去の名称 古泊小学校[1]
大泊小学校[1]
国公私立の別 公立学校
設置者 熊野市
設立年月日 1875年明治8年)4月[2]
閉校年月日 2001年平成13年)3月31日(休校)[1][3]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 519-4321
三重県熊野市磯崎町1138番地[4]
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熊野市立泊小学校(くまのしりつとまりしょうがっこう)は、かつて三重県熊野市磯崎町1138番地[注 1]にあった市立小学校[4][7]。前身の学校は1875年明治8年)4月に創立されたが[2]、創立125年目の2001年平成13年)3月限りで休校し[1]、事実上廃校となった[3]

磯崎漁港のすぐ近くにあった学校で[8]、校舎の教室の窓から熊野灘が見渡せた[9]

沿革[編集]

前身となる小学校は1875年(明治8年)4月[2]、この地区の寺を利用して村人が始めた[9]。1947年(昭和22年)に古泊小学校と大泊小学校が合併して泊小学校が発足し、1949年(昭和24年)には児童数342人を記録していた[1]。1965年(昭和40年)3月に屋内運動場が新築され、同年5月には校舎が改築された[10]。1973年(昭和48年)3月には25メートル×5コースのプールが新設された[11]

その後は児童数の減少が続き、1980年(昭和55年)には100人を切って[12]88人、1994年(平成6年)には10人未満の8人にまで減少、最終年度となった2000年度(平成12年度)には児童数2人と、三重県内で最も小さな小学校となっていた[1]。児童数減少の要因として、漁業の衰退による過疎化、地域に平地が少ないことから市内の他地区へ引っ越す人の増加[12]、また若者が働き口を求めて都市へ流出したことが挙げられている[9]。1982年(昭和57年)6月には、青少年劇場が泊小学校と有馬小学校で過疎地巡回音楽公演「歌のつばさにのって」を開催していた[13]

休校直前の2000年時点では児童2人(6年生と2年生の各1人)が在学しているのみで、校長・教諭・給食職員を含めて5人という規模だった[14]。同年時点では年3回にわたって近くの波田須小学校新鹿小学校と合同で陶芸教室、文鎮づくり、かるたづくりなどの交流行事を行っていた[14]。同年時点では市は学校を休校や廃校にするとその地区の活力が失われるとの理由から、仮に児童が1人しかいなくても学校を存続させる方針であったが[14]、前身の小学校時代から数えて創立125年目の2001年3月限りで休校した[1]。同月には児童2人のうち、6年生の児童1人が卒業し[12][1]木本中学校へ進学した[15]。もう1人の児童(当時2年生)は同年4月に3年生へ進級するに伴い、木本小学校へ転校した[12][1]三重県教育委員会が発行する『学校名簿』によれば、2001年度(平成13年度)版・2002年度(平成14年度)版には休校扱いで掲載されていたが[16][17]、2003年度(平成15年度)版には掲載されていない[18]。かつて泊小学校が所在していた磯崎町は2024年(令和6年)時点で、木本小学校の学区に含まれている[19]

2004年(平成16年)4月には大橋学園(現:みえ大橋学園)が旧校舎を利用し、「熊野文化圏専門学校」を開校した[15]。同校は2010年(平成22年)に廃校となり、東紀州の交流拠点「熊野文化圏教育センター」となっている[20]。また旧校舎は熊野市や御浜町紀北町の風景をモデルにしたテレビアニメ『凪のあすから』の背景として描写されている[21]

交通[編集]

最寄り駅である大泊駅JR東海紀勢本線)から学校までは徒歩10分だった[7]

関係者[編集]

出身者[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 校舎の所在地を磯崎町1125番地とする文献もある[5][6]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 中日新聞』2001年3月25日朝刊牟婁版牟婁「【三重県】125年の歴史に幕下ろす 熊野市泊小 たった一人の卒業式 ○○さんに証書 運動会やXマス会 楽しい思い出発表」(中日新聞社
  2. ^ a b c 読売新聞』2001年3月25日中部朝刊三重A面26頁「熊野の泊小が今月で休校に 卒業と転校を励ましあい=三重」(読売新聞中部本社
  3. ^ a b 熊野市のプロフィール > 旧熊野市の歩み > No10:平成11年(1999年)~平成15年(2003年)熊野市、2023年3月17日。2024年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月28日閲覧
  4. ^ a b 三重県教育委員会事務局総務課 編『学校名簿 平成12年度版』(PDF)三重県教育委員会、2000年7月、27頁https://web.archive.org/web/20230522122539/https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000090054.pdf#page=26 
  5. ^ 『ゼンリン住宅地図2000 三重県 熊野市』ゼンリン、2000年3月、88頁J-5「磯崎町 1125 市立泊小学校」
  6. ^ 『ゼンリン住宅地図2000 三重県 熊野市』ゼンリン、2000年3月、89頁A-5「磯崎町 1125 市立泊小学校」
  7. ^ a b 『教育音楽 小学版』第55巻第6号(通巻:第642号)2000年6月、44頁「全校・他校との交流で楽しく音楽しよう! 熊野市立泊小学校」(音楽之友社 前・泊小学校教諭 倉谷理恵)
  8. ^ 『ゼンリン住宅地図2000 三重県 熊野市』ゼンリン、2000年3月、89頁A-5「磯崎町 1125 市立泊小学校」
  9. ^ a b c 朝日新聞』2000年12月27日名古屋朝刊三重県版20頁「2人の終業式 来春には休校(世紀の終わる街で) /三重」(朝日新聞名古屋本社 伊藤恵里奈)
  10. ^ 熊野市のプロフィール > 旧熊野市の歩み > No3:昭和39年(1964年)~昭和43年(1968年)」熊野市、2023年3月17日。2024年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧
  11. ^ 熊野市のプロフィール > 旧熊野市の歩み > No4:昭和44年(1969年)~昭和48年(1973年)」熊野市、2023年3月17日。2024年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧
  12. ^ a b c d 伊勢新聞』2001年3月25日朝刊15頁「【熊野】一人だけの卒業生送る 熊野・泊小でも休校式 先生やOBも涙のお別れ」(伊勢新聞社)
  13. ^ 熊野市のプロフィール > 旧熊野市の歩み > No6:昭和54年(1979年)~昭和58年(1983年)」熊野市、2023年3月17日。2024年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧
  14. ^ a b c 『読売新聞』2000年5月19日中部朝刊三重A面28頁「[いきいきみえの学校](6)泊小学校 まるで姉妹、二人の教室 2年と6年飛び級学級 悩みは体育」(読売新聞中部本社 村田幸次)
  15. ^ a b 毎日新聞』2003年12月25日中部朝刊三重地方面22頁「よみがえった私たちの校舎 専門学校の内覧会――熊野市・休校中の泊小 /三重」(毎日新聞中部本社【汐崎信之】)
  16. ^ 三重県教育委員会事務局総務課 編『学校名簿 平成13年度版』(PDF)三重県教育委員会、2001年8月、27頁https://web.archive.org/web/20230524212939/https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000636612.pdf#page=28 
  17. ^ 三重県教育委員会事務局総務課 編『学校名簿 平成14年度版』(PDF)三重県教育委員会、2002年、27頁https://web.archive.org/web/20230522143351/https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000636613.pdf#page=28 
  18. ^ 三重県教育委員会事務局総務課 編『学校名簿 平成15年度版』(PDF)三重県教育委員会、2003年、27頁https://web.archive.org/web/20230522143351/https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000636613.pdf#page=28 
  19. ^ 教育委員会規則第12号 熊野市就学規則 > 別表(第4条関係) 学区一覧表」熊野市教育委員会、2005年11月1日。2024年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧
  20. ^ 概要」みえ大橋学園。2024年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月5日閲覧
  21. ^ 『毎日新聞』2015年6月12日中部朝刊三重地方面22頁「アニメ「凪のあすから」:熊野で背景画展 地元の風景がモデル 紀南広域 /三重」(毎日新聞中部本社【汐崎信之】)
  22. ^ 中国新聞』1997年2月14日夕刊11頁「赤ヘル 日南からの挑戦 もうひとつのキャンプ<中> 徳本内野手 トップクラスの飛距離 精神面鍛え一軍狙う」(中国新聞社

関連項目[編集]