清水キョウイチ郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清水 キョウイチ郎(しみず きょういちろう、本名:清水 共一(しみず きょういち)、1965年3月6日 - 2006年11月4日)は奈良県出身の吉本興業に所属していたお笑い芸人。元「ぴのっきを」のボケ担当。

ピン芸人時代の旧芸名は、清水家 共一(しみずや きょういち)、清水 共一郎(現芸名と読み同じ)。師匠はいかりや長介山根伸介とされているが、詳細不明。

2006年11月4日、肺血栓のため大阪市内の自宅で死去。41歳だった。

目次

[編集] 芸歴

奈良芸術短期大学卒業後東京へ。いかりや長介に入門するが、数年後に破門され大阪へ戻る。1988年3月うめだ花月の進行になり、フレッシュコーナーにおいてトップで合格。同年新井正浩(タコ)と漫才コンビ「ぴのっきを」を結成、うめだ花月などで活躍。だが、2000年に新井が実家の家業を継ぐために芸人を廃業し、コンビを解散。その後新喜劇に入団するが、処遇に困った吉本興業本社が新喜劇に入団させたという説もある。「ぴのっきを」(1995年から「ぴのっきお」、2000年から「きょーちゃん蛸ちゃん」)時代、本名を芸名として活動していたが、新喜劇入団後は短期間で改名を繰り返し、現在の芸名におちついていた。

ごきげん!ブランニュ』(ABCテレビ)ではパラ軍団の一員として活動し、三食すべてをそうめんで過ごす、賞品の金券を換金するなどその貧乏生活ぶりが暴露されている。同番組で鯖街道福井県小浜市から京都市出町柳までの約80km)を細い体に似合わず徒歩で走破した。なお、この番組では他に、月亭八光藤井輝雄しましまんず)、タンクシンクタンク)、今別府直之中立豊岡友美青空)が鯖街道に挑戦したが(八光、藤井、タンクは2回)、完走したのは最年長の清水のみ。スタッフが止めたにもかかわらず最後まで歩き続けた。

2006年11月4日、肺血栓のため大阪市内の自宅で死去。41歳だった。11月7日に新喜劇出演が控えていたが、4日になっても台本を取りに来ないため、不審に思ったマネージャーが翌5日清水の自宅を訪れたが、既に亡くなった状態で発見された。亡くなる4日前(10月31日)に、うめだ花月の舞台(ケツカッチン高山のイベントにゲスト出演したもの)に元気な姿で立っており(空元気だった可能性もあったにせよ)、この突然の訃報は吉本の芸人仲間に大きな衝撃を与えた。

11月8日大阪市阿倍野区斎場で行われた葬儀告別式は、吉本の大先輩で落語家桂文珍や長年の芸人仲間だったメッセンジャー黒田高山トモヒロら芸能関係者やファンら約350人が弔問に訪れた。弔辞は黒田と高山が読み上げた。黒田は「待ち合わせに遅れて来るのに、なんで俺たちより早く逝くねん」と、高山は「みんな清水さんのこと大好きです。ほんまありがとう」と、それぞれ悲しみをこらえて弔辞を読んだ。

現在親しかった芸人等によるエピソードをまとめた本の出版が計画中で、売上は離婚した嫁と子供に支払われる予定。

ヨシモトファンダンゴTV』、『ごきげん!ブランニュ』及び『やりすぎコージー』で緊急追悼番組(特集)が組まれた。やりすぎコージーの追悼スペシャルでは、メッセンジャー黒田が「全然いい人じゃなかったけど、面白い人やったんですよ」と評し、あいはらは「パラ軍団永久会員です」とコメントし、普通ではありえないほど笑いに包まれた追悼番組となっていた。

[編集] 人物

  • 特徴はサッカー選手・ティエリ・アンリのような突き出た後頭部。
  • 後述のエピソードを見て分かる通り、かなりの変わり者で天然ボケである。
  • ファンレターの返事にはイラストを毎回描き、直筆で丁寧な回答をする。
  • 芸人仲間が落ち込んでいたら励まし元気づける、誰に対しても怒らない、優しく温厚な性格の持ち主だった。
  • 優しい性格ではあったが、天然ボケであることが原因で励まし方が通常とは異なっていることが多く、不器用な優しさを持っていると言われることが多い。

  例:意識不明だったベイブルース・河本に矢沢永吉の曲を大音量で聞かせる。

  • いじられるのはあまり好きではないらしく、いじられる度にキレていた。特にしましまんず・藤井にいじられると大喧嘩になっていたことが、芸人仲間によって暴露されている。
  • 毎日あった事を日記につけており、また守れている守れていないは別として、細かなスケジュールを立てていることから、几帳面な性格であると推測される。
  • 空手、イラストが得意。空手は有段者の可能性もある。

[編集] エピソード

  • ハプニングに対する機転が利かず、アドリブに弱い(後述)。新喜劇の舞台の上では端役が多かった。
  • 2006年2月4日放映分のよしもと新喜劇『帰ってきた若頭』に、医者役で出演。体調の優れない井上竜夫を診察するシーンで登場する。その際、「薬は朝、昼、晩の2回で飲んでください。」とボケるはずだったのが、「薬は…絶対3回に。」とマトモなことを言ってしまい、すかさず看護師役の仙堂花歩に「違いますよ、先生。薬は朝、昼、晩の2回で飲んでください。」とフォローされた。
    • これ以外にも様々な台詞、所作を度忘れしてしまい、周りの座員は何とかこの場を切り抜けようと「もうええから!!」と、清水を制止するも清水はやめる気配を見せない。また、喉を見るためにペンライトを胸ポケットから出そうとするが、事もあろうに入れ忘れており、何で代用しようか焦っているうちに烏川耕一から突っ込まれてしまう。以降、顔は引きつり、台詞はタジタジの連続であった。ボケ専門の安尾信乃助も「先生のおかげで皆、何もしゃべってへんのに汗だく!!」と突っ込むシーンがあった。事実、その場にいた平山昌雄松下笑一もテレビ画面で額がテカるぐらい汗をかいていた。
  • しましまんずの藤井と双子のコントをした時(藤井と清水が双子の兄弟役)、双子なので同じ動きをしなければならないはずなのに、清水は反対側に動いてしまい滅茶苦茶にした。その後、藤井がそれについて愚痴を吐くと、突然切れだした。
  • 電車を題材にしたコントを披露した時、「パカパパカパパカパパカパ♪」とドラえもんのBGMを歌いながら入ってきた。芸人仲間は固まってしまい、直ちに和泉修により舞台から下ろされこっ酷く怒られた。
    • それまでにも度々流れを止める失敗を犯している。のちに座長達から、「『笑われる』と『笑わす』は違う、お前のは笑われてるだけだ、笑わせろ」と説教されたという。なお上記のトチリのため、出演謹慎処分を受けた。謹慎が解けた後も、NGKでの出演回数は激減していた。
  • メッセンジャーあいはら率いる、大阪の売れない吉本芸人の駆け込み寺とも言われるパラ軍団にナンバー2格で入団していたが、ある時、パラ軍団によるイベント終了後に「俺は弄(いら)われるのは嫌や!」と突如逆上して脱退した。その後、『やりすぎコージー』(テレビ東京)のパラ軍団特集の際に登場し、「軍団に復帰させてほしい」と詫びを入れるが、軍団メンバーであるシンクタンク・タンクの家に3ヶ月間無言電話を掛け続けていたことが発覚。同じく後輩の軍団メンバー・今別府直之からは「帰ってこないでほしい」、あいはらからは「一緒に仕事はやりたくないです。一人で頑張ってください」と言い放たれ、軍団復帰は拒否されてしまった)。
    • また、タンクへの無言電話がきっかけで、シンク、タンク両者から怒りを買うことに。特にタンクの怒りはおさまることがなく、全く反省の色を見せない清水に対し、本番中にもかかわらず本気でキレていた。後日和解したものの、最終的には清水に対し言った言葉が現実になってしまった。
    • 亡くなって3日後の11月7日放送の『なるトモ!』(よみうりテレビ)でこのことが伝えられたとき、出演していたあいはらが軍団から離れてからも親交があったことを吐露し、その後言葉を詰まらせてそのまま泣き崩れてしまった。
    • その後、やりすぎコージーで清水の追悼特集が組まれた際にあいかわが前述の発言をしたことから、形式上では清水が亡くなったことでパラ軍団としての名誉が回復されたようである。
  • 後藤秀樹Mr.Childrenのライブに誘われた清水は「オレ、めっちゃファンやねん!」と言い、一緒にライブに行ったが、客全員が立ち上がって熱狂している時に清水は座りっぱなしだったりした。しかし「Tomorrow never knows」がかかった途端、客全員が座って静かに聴いていたのにも関らず、一人だけ立ち上がって大声援を送った。のちに後藤に「兄さん、なんで聴き方わからんのですか!?だいたいどうしたらええかわかるでしょ!?」と言われた清水、「いや、そんなんお前はファンやからわかるんやんけ・・・。」それに対し後藤、「アンタ、ファンや言うとったやんけ!」ちなみにそのライブの時の清水の格好はサンダルにTシャツだったらしい。清水曰く「水とかかけられるかな思って・・・」
  • 川での入水自殺を試みたが、水深を把握しておらず、そのまま無事向こう岸に辿り着いてしまったことがある。電車に撥ねられて死のうとも考えたらしいが、何故か電車に乗ってしまった(人志松本のすべらない話などで紹介された)。
  • 劇症肝炎で入院し予断を許さない容態が続いていたベイブルース河本栄得を同期の芸人らと共に見舞った際、清水が『心電図が止まった!!』と言い出し、病室が騒然となる。が、側にいた看護師に『清水さん、それ(心電図のケーブル)踏んでますよ。』と言われ、気づいた清水がケーブルから足を退けると、心電図は再び心拍を刻み始めた。
    • その場にいた雨上がり決死隊宮迫博之『あの時はホッとしたけど、ホンマに殺したろうか思った。』と、後に述懐している。
    • 見舞い中に矢沢永吉の楽曲を大音量で流し、「河本、手拍子~!」と騒いだために半日間病院に出入り禁止にされてしまったこともある。全ては河本に目を覚ましてほしかったための行為だが、芸人仲間からは失笑を買った。
    • また、河本が亡くなった夜、雨上がり決死隊、メッセンジャー、清水ら芸人仲間たちが霊安室で一晩過ごすことになった。清水自ら「河本が帰って来るかもしれんから」と言い出し窓を開けたのだが、夜も更けたころ隅で眠りについていた清水がむくっと起き上がり、「寒ぅ~」と言いながら迷うことなく窓を閉めた。その後、霊安室に居合わせた芸人たちにボコボコにされた。
    • 更に河本の葬儀に際しても、出棺時に綺麗好きだった彼が天国でもお風呂に入れるように、とシャンプーとリンスを棺に納めた。ところが、蓋が中々閉まらず(横にすればいいのに、縦に入れてしまったため)、中身をこぼしてしまう。また、寂しがる母親にベイブルースのイラストを描いたものの、河本の方に白い三角巾までつけてしまったので、母親からこっ酷く怒られたこともある。
    • そのことに罪悪感を覚えたいたのかどうかは定かではないが、清水は河本の法要にずっと参加していた。ところが肝心の道を覚えておらず、河本の妹に必ず迎えに来てもらっていた。なお、相方の高山は、仕事の都合から全ての法要に参加できていない。清水は河本の分まで頑張ると言う思いがあったのではないかと、後に語られている。
    • 法要時には、遺影の隣に河本が好きだった(清水談)プリンを7個も並べ、遺影を倒した上「河本が来た!」と騒いだ。なお、高山が言うには「河本がプリンを食べているところなど、見たことがない。清水さんが好きで食べたいだけ」とのこと。
  • NGKに11:30入りにもかかわらず、8時間前の深夜3:30に起きるという変わったスケジュールで動いていた。なおそのスケジュールにはトイレに行く時間や風呂に入る時間まで決められていた。しかもそのスケジュール通り動いているにもかかわらず、玄関の盛り塩を変えるのを忘れたりして、遅刻することがあった。
  • メッセンジャー黒田が貧乏な清水を気づかって手作りのシチューを差し入れた時、黒田に「温めて食べて下さい」と言われたが、電子レンジを持っていない清水は、なんと西日でシチューをあたためたらしい。
  • 昼間の番組のロケで顔をマッサージされた際に、あまりの気持ちよさに勃起してしまった。
  • お笑い芸人のよく通っている店のマスターの母親が他界した際、勝手な判断をしてしまいメッセンジャーの両者から怒りを買った。原因は、花を清水に買うよう頼んだのだが買い忘れていたため。これはそのマスターが暴露している。
  • 空手が特技であったが、道場破りに来た水玉れっぷう隊・荒木(当時17歳/清水は当時21歳)に3秒敗れてしまったらしい。
  • ストップ症候群と言う病気があり、舞台上で挙動不審になったり、動きが頻繁に止まっていた(芸人仲間より)。この症状はコンビ時代初期にはなく、途中から発症したものであることが、芸人仲間より明かされている。
  • 酸に非常に弱く、梅干が頬にあたっただけでその部分が腫れてしまった。
  • 毎週同じ店で買い物をしているにもかかわらず、万引き犯と間違えられキレられたことがある。
  • 清水が離婚する際、メッセンジャー黒田は話し合いの場をもうけるなど色々としてくれたのだが、清水に「離婚の理由は奥さんと黒田がデキてたから」という噂を流されたことがある。また、「コンビ時代の相方である新井(蛸島屋)と、師匠の山根がデキていた」などという噂を流したこともある。もちろんどちらも清水の吐いた嘘である。
  • コンビ時代、ネタがすべってもうけても、全く表情を変えないため(基本的に無表情)、新井が困惑の表情を浮かべることも多かった。
  • 基本的に自転車で移動しており、自分の存在を知らせるための赤ランプを持ち歩いていた。その際にランプだけでは不安だったため、後ろを向きながら存在を知らせていると、前から来た自動車に撥ねられてしまった。
    • その他にもさまざまなエピソードがある。黒田曰く、2005個は軽く超えるらしい。

[編集] ギャグ・イジリ

  • 特徴的な後頭部をよく内場勝則などにいじられていた。
    • 「部活動は?」、(清水)「後頭部や!」、「すいません、尖ってるのが不思議だったから」、「サル顔」、「叩きやすい頭」など。
  • 「ウマズラビーム!」
  • ぴのっきを」時代のネタをそのまま流用。歌でボケる。
    歌においてトーンが下がるところでワザと上げて、下がらな~、とつっこまれると、過度に下がり叩かれる。
  • 早い動きで西城秀樹ピンクレディーの振り付けを行うネタ(コロッケの野口五郎より激しいものだった)。
  • こんにちは赤ちゃんのメロディーにのせて手品の真似をする(ハンカチをひらひらと動かすだけなので、手品とは言いがたい)。東野幸治曰く、「最低」の芸だった。
  • 下ネタが非常に多い。
  • カメラマンで登場することが多少あり、どうでもいいところを撮るところから、「いつまで撮ってんねん」と叩かれることが多かった。

[編集] 受賞歴

全て「ぴのっきを」として

[編集] 出演番組

コンビ時代

ピン時代