淡水鎮

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台湾 台北県 淡水鎮
地理
位置: 北緯25°10"
東経121°26"
面積: 70.6565km²
各種表記
繁体字: 淡水鎮
日本語読み: たんすい
漢語ピン音: Dànshuĭ
通用ピン音: Dànshueĭ
注音符号: ㄉㄢˋ ㄕㄨㄟˇ
片仮名転写: ダンシュイ
行政
行政区分:
上位自治体: 台北県
下位行政区画: 41里648鄰
政府所在地:
淡水鎮長: 蔡葉偉
公式サイト: 淡水鎮政府
情報
総人口: 137,319人(2009年6月)
戸数: 53,020戸(2009年6月)
郵便番号: 251
市外局番: 02
淡水鎮の木:
淡水鎮の花:
淡水鎮の鳥:
別称: 滬尾

淡水鎮(たんすいちん)は台湾台北県。近代には国の条約港として台湾を代表する港町でもあった。

目次

[編集] 地理

台湾島最北部、淡水河の河口北側に位置し、北は三芝郷,南は關渡及び台北市北投区と接し、西は台湾海峡に面する。東は淡水河を隔てて八里郷である。

風光明媚な土地として知られ台湾八景の一つに数えられ「東方のベニス」と称され、現在でも淡水河の落日は台北地区を代表する風景となっている。


[編集] 歴史

1624年マニラからスペイン人が進出し、この地を占領してサン・ドミンゴ要塞を築いた。しかし1642年には台湾南部を占領するオランダ東インド会社がこれを駆逐し、要塞を再建した。なおこのサン・ドミンゴ要塞が後の紅毛城である。

1661年鄭成功がオランダ人を駆逐したが、1683年の鄭氏王朝滅亡後は清朝の領土となった。

1858年天津条約で淡水港の開港が定められたが、同条約が批准されなかったため、1860年の北京条約によって、条約港として開港された。紅毛城にはイギリス領事館が設置された。これ以降各国の商館が集まるようになり、淡水は19世紀後半には台湾最大の港湾として繁栄した。

しかし日本による統治時代(1895年~1945年)になると、河口に砂が堆積してしまい大型船が入りにくくなってしまった。このため台湾総督府は基隆港を建設、台北と基隆の間には鉄道も敷設され、港の繁栄は基隆に移り、以降は小さな漁村となった。

戦後、紅毛城など歴史的観光資源を多数持つ淡水は次第に観光地へと変貌していった。特に台北捷運淡水線の開通により淡水方面へのアクセスが劇的に向上した後は、台北市民が気軽に出かけられる観光地として栄えるようになった。

ライトアップされた情人橋

[編集] 行政区

[編集] 交通

種別 路線名称 その他
捷運 淡水線 淡水駅 紅樹林駅 竹囲駅
航路 フェリー 淡水-八里
淡水の夕景
淡水の夜
淡水駅付近に残る昔のままの風景

[編集] 教育

区分 名称
大学 3 淡江大学
真理大学
聖約翰科技大学
中海科術学院
高中 1 淡江高級中学
高職 1 国立淡水高級商工職業学校
国中 4 台北県立正徳国民中学
台北県立淡水国民中学
台北県立竹囲国民中学
賢孝国中
国小 14 台北県立淡水国民小学
台北県立文化国民小学
台北県立鄧公国民小学
台北県立新興国民小学
台北県立竹囲国民小学
台北県立天生国民小学
台北県立水源国民小学
台北県立興仁国民小学
台北県立屯山国民小学
台北県立坪頂国民小学
台北県立忠山国民小学
台北県立中泰国民小学
台北県立育英国民小学

[編集] 歴代鎮長

[編集] 観光地

鐵蛋の元祖である阿婆鐵蛋(お婆ちゃんの鉄玉子という意味)

鐵蛋(鉄玉子)や魚丸湯や阿給が有名。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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