戦斧

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Svenska hillebarder (1500-talet), Nordisk familjebok.png

戦斧(せんぷ、いくさおの)は武器・兵器として使用される斧。小型で投斧としても使われる片手斧と両手で扱う大斧に大別される。

概要[編集]

かつてのは薪木をとるなど日常生活に欠かせない物だった。それを武器に用いると言う発想は至極自然な物だったに違いない。扱いに慣れた斧ならばのような専門教育を受けずとも戦う事ができる上、武器としても非常に優秀である。重心が先端に極めて集中するため取り回しに癖がある反面、遠心力によって重い一撃を相手に与えることができる。例え金属製の防具に刃を阻まれたとしてもその衝撃は十分な打撃ダメージとなり得た。刃が厚く大きいので刀剣よりも耐久性があり、多少刃がが傷んでも実用に差し障りなかった。そして刀剣に比べて製造コストが安かった(三分の一とも)ため広く普及した。

使用方法[編集]

戦い方としては力任せに斬る他、突き崩すなどがある。

また、突きの状態にすると、まるで小さい盾が突き出ているようになっている為、剣や槍や棍棒などの攻撃を防ぎ、受け流すことが容易で、また斧の鎌状になっている部分で引っ掛ける(首や腕や足、相手の武器や盾など)、柄で殴る、そして斧頭を蹴るなどで素早く振り回していた。

戦闘以外では、木を切ったり削り、ハンマー代わりに使って、障害物などの作成を行った。または斧頭を持つと代わりに使えるなど、非常に広範な使い方があった。

また、農民が持って居ても違和感がないため、しばしば仕込みや暗殺用として作られている物がある。日常の道具からより戦闘用に改良された戦斧は敵の鎧や盾も切断して身体を攻撃する為、力を一転に集中できるように刃が比較的丸く、中にはより頑丈な鎧や兜と頭蓋骨をも貫通しやすくする為に刃が狭い斧や刃が尖った斧、取り回しを良くする為に柄を長くしたもの、敵の首や手足、武器を引っ掛けやすいように髭の部分が長くなった斧、素早く振るえるように刃の幅を薄くするなど軽量化されている斧もあった。

戦史の中での戦斧[編集]

  • 青銅器時代、エジプトやメソポタミアでは槍と並んで刃の角度が急な青銅製の斧が白兵戦での主要な武器として使用されていた。
  • 欧州中世の戦場のほとんどで見られる。ケルト人ヴァイキングで知られる北欧の民が、好んで使用した。特にヴァイキング独自の投げ斧、片手斧、両手斧はイングランドなどで猛威を振るった。当時は鉄器鍛造技術が未熟で剣は高級品であり、一般人には斧のほうが手軽に持つことができた。このためテレマルク県のように北欧諸国では、紋章に戦斧が含まれている自治体も多い。イングランド王をノルマンディー公ギヨーム2世と争ったハロルドの護衛傭兵ハスカールは、主に斧で武装していた。スイス人傭兵が考案した槍や鉤と一体化したハルバードは、歩兵が騎兵に対抗する手段として普及した。
  • 中国では斧は「銅鉞」としての時代からあり、当初は歩兵の武器として使用されたが、戦車戦が発達すると実戦では用いられなくなり軍事権を誇示するためのものになった。再び実戦で戦斧が使われだすのは南宋の時代になってからだった。当時、の重装騎兵に対抗するために威力の高い打物兵器が求められ、大斧が使われだした。金の完顔兀述は宋軍の優れた武器として神臂弓(の一種)と共に大斧を挙げている。小説の世界では『説唐演技』の程咬金が大斧の使い手として描かれている[1]
  • 日本で戦斧が使われ出したのは南北朝期からのことであり、文献では『太平記』で長山遠江守赤松氏範との一騎討ちで大鉞を使用している[2]。基本的に、戦場で斧を使用するのは兵站の建設、あるいは城門の破壊のためだった。また、形状の良く似たものとして、修験者が霊峰入山の際に携帯する「入峰の斧[3]」がある。
  • インディアンが白人との戦いの中で、独特の手斧「トマホーク」を使用した。現アメリカ軍のトマホークミサイルの語源である。

代表的な戦斧[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『武器と防具 中国編』69頁
  2. ^ 『騎兵と歩兵の中世史』129頁
  3. ^ 奈良国立博物館 http://www.narahaku.go.jp/collection/p-659-0.html

参考文献[編集]

  • 『騎兵と歩兵の中世史』 近藤好和:著 株式会社吉川弘文館 2005年
  • 『武器と防具 中国編』 篠田耕一:著 株式会社紀元社 1992年