後藤英一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 英一(ごとう えいいち、1931年1月26日 - 2005年6月12日)は、日本の物理学者計算機科学者。東京大学名誉教授。

磁気による論理演算回路素子のパラメトロンを発明。数式処理の分野でも業績を上げる。紫綬褒章受章。

功績[編集]

理化学研究所では特許を100近く出願したという。理研の物理学部門では特許収入が首位との事である。さまざまな原理は勉強したが、その原理がコンピュータにどう使われているかは勉強しなかったと語る。

年度が判明しているもの
年度不明

これらの研究業績により1989年4月に紫綬褒章を受章した他、多数の受賞歴がある。ただし後藤自身は「半導体製造のための貢献で紫綬褒章をもらったが、半導体のために仕事をした事なんてない(笑)」と語る。

略歴[編集]

エピソード他 [編集]

  • 15歳からラジオ製作を始めている。スイープジェネレーターを自作したほか、フェライトの飽和現象を操っており、この時のフェライトの経験が、パラメトロンにつながる。
  • 外国人研究者に「私はこの分野で後藤という名前の日本人を3人知っている。パラメトロンの後藤、ゴトーペアの後藤、磁気モノポールの後藤。お前はそのうちのどれか?」と尋ねられたため、「そのすべてだ」と答えた、というエピソードは、後藤英一を一言で物語るものとしてよく引き合いに出される[1]
  • 多項式の乗算の高速アルゴリズムや、HLispのアプリケーションとして想定するなど、数式処理の研究発展にも関与した。『計算機屋かく戦えり』のインタビュー中にも「ウルフラムってのはおそろしく頭のいいやつだな」等と言及があったという。が、後藤自身は、作者のアンソニー・C・ハーンと知り合いでREDUCE派とのこと。
  • また、同じインタビュー中で独創性について尋ねられると、自分はたまたま、あれこれ自分でこしらえるのが好きだったが、日本人はオリジナリティはなくても「デベロップメント」していいものを安く売るのが得意で、それも大切なことだから、改めようとして「角をためて牛を殺す」ことはない、と答えている。
  • 「構造化プログラミングのためgoto文を取り除こう(goto文#goto文論争)」というテーマが、計算機科学界で1970年頃話題になったのだが、ドナルド・クヌースの "Structured Programming with go to Statements" の§1の冒頭の記述によれば、クヌースが1971年のIFIPのコングレスで後藤に会った際、「このごろ、よく除去されて困る」と(冗談を)言っていた、という。
  • 東京都渋谷区出身。1970年代からは神奈川県藤沢市に住んでいた

参考文献[編集]

  • 『計算機屋かく戦えり』(1996年)pp. 35~47
    • 『日本人がコンピュータを作った!』アスキー新書(2010年) ISBN 978-4-04-868673-0 - 『~かく戦えり』からの抄録版。本書では後藤の語録として「他人のした事から始めても、オリジナルは出ない」がアオリ文句となっている。

脚注 [編集]

  1. ^ たとえば情報処理学会の「日本のコンピュータパイオニア」での紹介(2013年7月12日閲覧)では冒頭にある。

外部リンク[編集]