小野眞一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小野 眞一
生誕 (1974-01-28) 1974年1月28日(50歳)
出身地 日本の旗 日本 静岡県
ジャンル J-POP
職業 ギタリストDJ作曲家
担当楽器 ギターターンテーブル

小野 眞一(おの しんいち、1974年1月28日 - )は、日本ギタリストDJ[1]静岡県出身、血液型AB型[1]。愛称は「小野ちゃん」。

人物[編集]

バンド「フィッシュバスケット」のギターボーカルにして、「100s」、「shortcut miffy!」、「tae」、「bathbeer」、「ペン・0のサイン」、「film son tango」のギタリスト[1]カバーバンドでも活動しており、Hasta La Vista Babies、PENPALSのkinya、babamaniaのdaigo、中尾憲太郎らと「からくちくん」というパンクカバーバンドで2回ほどライブを行ったほか、2014年からは「ウイルスセッション」というカバーバンドにも参加した。

イベント等ではDJも披露する[注 1]ほか、ゲームやアニメにも造詣が深く、活動は多岐に渡る[1]

来歴[編集]

2歳から14歳頃までピアノを習っていたが、15歳頃からベース、16歳頃からギターを始める[1]THE BLUE HEARTSを聴いて影響されたのがきっかけであったという[1]。19歳の時、池袋のバー、マダムカラスにてはじめてのDJを行う。

2000年、「shortcut miffy!」のメンバーとしてメジャーデビューするが、バンドはその翌年に解散[2]

2001年、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001 において、シンガーソングライター中村一義のステージにサポートメンバーとして参加。そのバックバンドで「100s」を結成する[1]。同年秋、解散した「shortcut miffy!」のボーカル・沼倉隆史とバンド「tae」を結成[2][3]

2004年、「100s」が本格的に活動を開始する。

2011年、taeを脱退。同年、babamaniaのyujinとバンド「bathbeer」を、mooolsの酒井泰明とバンド「ペン・0のサイン」を結成。

2013年、100sの山口寛雄、babamaniaのyujin、ayano、miiinaらと「film son tango」を結成。渋谷のバーedge endの18周年のイベントにてデビューライブを行った。同年、フィッシュバスケットが結成20年を迎える。

ディスコグラフィー[編集]

100s[編集]

フィッシュバスケット[編集]

  • ルナチック (1998年、カセットテープでの発売。現在廃盤。)
  • DRAGON SUMMER (2001年3月1日)
  • 天界の宴 (2005年7月5日)
  • 世界少女(2013年3月6日)bathbeerプロデュース。ジャケットデザインは現bathbeerメンバーでもあるyui maki。

tae[編集]

  • 君を探す (ミニアルバム、2003年10月29日)
  • 海風と君のこと (ミニアルバム、2004年8月8日)
  • いま詳しくは僕にも判らない (アルバム、2005年9月7日)
  • ロックミュージック (アルバム、2007年11月21日)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ DJとしては2ヶ月に1回Alcoholidayというクラブイベントを保坂壮彦、はんふぃそんと供に開催していた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g PROFILE”. 100s Official Web Site (2018年11月1日). 2019年6月15日閲覧。
  2. ^ a b Shortcut miffy!プロフィール”. 音楽出版社. TOWER RECORDS ONLINE (2012年7月30日). 2019年6月15日閲覧。
  3. ^ 100sのギタリスト小野眞一率いるロック・バンドtae、ミニ・アルバム『ロックミュージック』を11月21日に発売”. タワーレコード オンライン ニュース. TOWER RECORDS ONLINE (2007年11月1日). 2019年6月15日閲覧。

外部リンク[編集]