小松原賢誉

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小松原 賢誉(こまつばら けんよ、1911年(明治44年)9月20日 - 1995年(平成7年)1月30日[1])は、宗教家教育者真言宗豊山派大僧正で、学校法人小松原学園の創始者である。

人物[編集]

東京に生まれる。大正大学予科卒業後、24歳の若さで洋裁学校の経営者となる。戦後は学校法人小松原学園を設立し、理事長に就任。浦和市(現さいたま市浦和区)に浦和商業女学校(洋裁学校を改組)を前身とした小松原女子高等学校(現浦和麗明高等学校)を開校。1950年代には小松原幼稚園(現在は閉園)、男子校の小松原高等学校(現叡明高等学校)を創立した。また真言宗豊山派の大僧正として仏教主義的教育に力を注いだ。生前は「親に心配掛けるな」と口々に説き、卒業後立派な社会人として活躍できる人材の育成にも尽力した。

略歴[編集]

  • 1911年 東京府にて誕生
  • 大正大学仏教学部予科卒業
  • 1936年 浦和市(現さいたま市)に洋裁学校を開校
  • 洋裁学校を浦和商業女学校に改組(小松原女子高等学校の前身)
  • 1950年 小松原幼稚園創立
  • 1959年 小松原高等学校創立
  • 19XX年 埼玉県私学連盟会長
  • 1967年 藍綬褒章受章
  • 1982年 勲四等旭日小綬章叙勲
  • 1995年 急性肺炎のため死去[1]

著作リスト[編集]

  • 『坊さん校長の言いたい放題』(IN通信社、1981年)
  • 『毒舌大僧正日本人を一喝!』(IN通信社、1984年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.239