定山渓鉄道モ800形電車

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定山渓鉄道モ800形電車
基本情報
運用者 定山渓鉄道
製造所 日本車輌製造
製造年 1950年3月
製造数 2両(モ801、モ802)
運用開始 1950年4月17日(竣工日)
運用終了 1969年10月31日
投入先 定山渓鉄道線
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
最高速度 50 km/h
車両定員 120人(着席44人)
車両重量 37.0 t
全長 17,600 mm
全幅 2,820 mm
全高 4,135 mm
車体 半鋼製
台車 日本車輌製造 D-2-18
車輪径 910 mm
固定軸距 2,300 mm
台車中心間距離 11,800 mm
動力伝達方式 吊り掛け駆動方式
主電動機 三菱 MB148-AF
主電動機出力 110 kw
搭載数 4基
歯車比 4.06(69:17)
出力 440 kw
定格速度 35 km/h
制御方式 間接自動制御
制御装置 三菱 HL複式
制動装置 空気ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3]に基づく。
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定山渓鉄道モ800形電車(じょうざんけいてつどうモ800がたでんしゃ)は、定山渓鉄道(現:じょうてつ)が1969年まで所有していた電化鉄道路線(定山渓鉄道線)に在籍した電車の1形式。戦後初の新型車両として1950年から営業運転を開始した[1][2][3][4]

概要・運行[編集]

第二次世界大戦終戦後の混乱が落ち着きを見せ始める中、札幌市では郊外の住宅地の範囲が拡大を続け、定山渓鉄道線沿線にも及ぶようになった結果、同路線の通勤・通学客の利用が増加し始めた。それを受けて定山渓鉄道が導入した2両の電車がモ800形である[1]

運輸省によって定められた規格に基づき設計された規格形電車のうち2両を割り当てる形で製造が実施され、乗降扉は3箇所、車内の座席はロングシートと通勤・通学輸送に適した構造となっていた。車体は半鋼製で、従来の電車(2,710 - 2,730 mm)よりも車幅が2,820 mmに拡大しており、導入に際しては特別設計認可が必要となった。主電動機の出力や歯車比も高速運転が可能な数値とし、従来車から性能が向上した[1][2][4]

2両(モ801、モ802)共に竣工日は1950年4月17日で、普通列車に加えて優等列車が設定されていた時代には他の戦後製電車と編成を組み準急急行列車にも使用された。製造当初の塗装はフェザントグリーン1色であったが、後に全体がアイボリー、窓回りがスカーレットという塗り分けに変更された。定山渓鉄道線が廃止となった1969年10月31日まで使用され、他社への譲渡も行われず廃車・解体された[注釈 1][1][6][7]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 定山渓鉄道線廃止時に在籍していた電車・気動車のうち、他社へ譲渡されたのはモハ1201・クハ1211(→十和田観光電鉄)の2両のみであった[5]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 小熊米雄 1969, p. 17.
  2. ^ a b c 小熊米雄 1969, p. 25.
  3. ^ a b 朝日新聞社「日本の私鉄電車車両諸元表(1964年3月現在)」『世界の鉄道 昭和40年版』、188-189頁。 
  4. ^ a b 寺田祐一 2004, p. 137.
  5. ^ 寺田祐一『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』JTB〈JTBキャンブックス〉、2001年10月1日。ISBN 4533039820 
  6. ^ 寺田祐一 2004, p. 140.
  7. ^ じょうてつのあゆみ 連載第8回”. じょうてつ. 2019年12月31日閲覧。
  8. ^ 寺田祐一 2004, p. 136.

参考資料[編集]

  • 小熊米雄「定山渓鉄道」『鉄道ピクトリアル 1969年12月 臨時増刊号』第19巻第12号、1969年12月10日、11-25頁。 
  • 寺田祐一「定山渓鉄道」『消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 1 北海道』〈NEKO MOOK 718〉2004年12月21日、128-142頁。ISBN 4-7770-0218-7