壱岐市立渡良中学校

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壱岐市立渡良中学校
地図北緯33度45分24.6秒 東経129度39分46.2秒 / 北緯33.756833度 東経129.662833度 / 33.756833; 129.662833座標: 北緯33度45分24.6秒 東経129度39分46.2秒 / 北緯33.756833度 東経129.662833度 / 33.756833; 129.662833
過去の名称 渡良村立渡良中学校
郷ノ浦町立渡良中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 壱岐市
校訓 自主・礼節・根気
設立年月日 1947年昭和22年)4月23日
閉校年月日 2011年平成23年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 811-5154
長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触365番地
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壱岐市立渡良中学校(いきしりつわたらちゅうがっこう, Iki City Watara Junior High School)は、2011年(平成23年)3月末まで長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触にあった公立中学校。略称は「渡中」(わたちゅう)。

概要[編集]

歴史
1947年昭和22年)の学制改革で、「渡良村立渡良中学校」として開校した。創立64年を迎える目前の2011年(平成23年)3月に壱岐市の公立中学校規模適正化(統廃合)[1]により閉校した。
校訓
「自主・礼節・根気」
校章
逆三角形と綿の葉を組み合わせ、中央に「中學」の文字を置いている。逆三角形は、校区であった渡良三島(大島原島長島)を表し、綿の葉は、「渡良」(わたら)という地区名の由来になった「綿」を表している。昔、綿がよくとれる地域であったことから、綿良→渡良となったと言われている。
校歌
作詞・作曲ともに山口藻人[2]による。歌詞は3番まであり、歌詞の中に「渡良」という校名は登場しないが、「母校」という言葉が出てくる。壱岐市役所のホームページで校歌の曲(歌詞あり、歌詞なし)をダウンロードできる。[3]

校区

通学方法
渡良小学校出身の生徒は徒歩で、三島小学校出身の生徒は市営渡船(フェリー三島)を利用していた。
制服
男子は学生服(学ラン)、女子はセーラー服。ジャージの色は藍色

沿革[編集]

  • 1947年昭和22年)4月23日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・渡良国民学校の高等科が改編され、「渡良村立渡良中学校」が開校。
    • 初代校長には米田尚徳が就任。職員数は校長以下10名。生徒・学級数は220名・6学級。校舎は当分の間渡良村立渡良小学校に併設の形をとる。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 町村合併により、「郷ノ浦町立渡良中学校」と改称。
  • 1961年(昭和36年)9月15日 - 校歌を制定。
  • 1962年(昭和37年)- 生徒数が最大381名となる。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月 - 校旗を作成。
    • 4月 - 校舎(鉄筋ブロック2階建ての校舎と木造校舎)が完成。運動場を拡張。
    • 10月 - 鉄筋ブロック校舎を増築。木造校舎を新築。
  • 1965年(昭和40年)3月 - 1964年東京オリンピック記念池が完成。(渡良地区住民より寄贈。)
  • 1968年(昭和43年)8月27日 - 運動場を整備。
  • 1975年(昭和50年)3月20日 - 体育館が完成。
  • 1979年(昭和54年)10月9日 - 校門、運動場周囲ブロック塀・フェンスが完成。
  • 1981年(昭和56年)10月30日 - テニスコートが完成。
  • 1982年(昭和57年)3月10日 - 木造校舎を鉄筋校舎に改築。(1階 - 保健室、相談室、調理室/ 2階 - 図書室・美術室)
  • 1983年(昭和58年)
  • 1985年(昭和60年)
  • 1986年(昭和61年)9月7日 - 運動場を整備。
  • 1987年(昭和62年)8月31日 - 野球部用具倉庫を新築。
  • 1989年(昭和63年)9月30日 - 体育館に暗幕を設置。
  • 1990年平成2年)
  • 1991年(平成3年)12月10日 - 運動場西側に防球フェンスを設置。
  • 1992年(平成4年)
  • 1995年(平成7年)10月25日 - 体育館を大規模改修。
  • 1997年(平成9年)3月17日 - 運動場東側に防球フェンスを設置。
  • 1998年(平成10年)10月31日 - 校舎を大規模改造。
  • 2000年(平成12年)10月23日 - 校舎裏に防球ネットを設置。相撲場に安全マットを設置。
  • 2002年(平成14年)3月26日 - 道路側に防球フェンスを設置。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 壱岐島4町の合併により、「壱岐市立渡良中学校」(最終名)に改称。
  • 2008年(平成20年)9月 - 壱岐市教育委員会が中学校規模適正化(統廃合)計画を発表。
  • 2009年(平成21年)- スクールカウンセラーを配置。
  • 2011年(平成23年)
    • 2月12日 - 閉校記念碑「渡中魂永遠」を設置。
    • 3月24日 - 閉校式を挙行。
    • 3月31日 - 閉校(生徒数62名(中3を含む))。64年の歴史に幕を下ろす。在校生は新設の壱岐市立郷ノ浦中学校に通学することとなる。
  • 2015年(平成27年)4月 - 旧・中学校校舎が改築され、壱岐市立渡良小学校の校舎となる。

周辺[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 旧・郷ノ浦町の公立中学校4校(武生水中学校・渡良中学校・沼津中学校初山中学校)が統合され、旧・武生水中学校の校地に壱岐市立郷ノ浦中学校が開校した。
  2. ^ 壱岐市立鯨伏中学校校歌の作詞・作曲も行っている。
  3. ^ 旧中学校校歌ダウンロード-壱岐市ウェブサイト

参考資料[編集]

  • 「郷ノ浦町史」(1998年(平成10年)6月発行、編集・郷ノ浦町史編纂委員会、出版・郷ノ浦町教育委員会)
  • 広報いき 壱岐市役所 2011年(平成23年)1月号

関連項目[編集]