喬石

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喬石
生年月日 1924年12月
出生地 中華民国の旗 中華民国上海市
出身校 同済大学
所属政党 Flag of the Chinese Communist Party.svg 中国共産党
配偶者 郁文

中華人民共和国の旗 第6代全国人民代表大会常務委員長
任期 1993年3月27日 - 1998年3月16日
国家主席 江沢民

中華人民共和国の旗 国務院副総理
内閣 趙紫陽内閣
李鵬内閣
任期 1986年4月12日 - 1988年4月12日
国家主席 李先念
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喬 石(きょう せき、拼音: Qiáo Shí1924年12月 - )は、上海生まれの中華人民共和国政治家。第6代全国人民代表大会常務委員会委員長(国会議長に相当)、第13期・第14期中国共産党中央政治局常務委員などを務めた。祖籍は浙江省定海。元の名前は蒋志彤。妻は郁文、一男一女あり。

経歴[編集]

1940年8月、中国共産党に入党。国際問題の専門家で、政党外交を担当する中央対外連絡部長に就任。その後、中央弁公庁主任、中央組織部長など党中央の要職を歴任した。1979年には北京で長期間幽閉されていた元日本共産党幹部(1953年に除名)の伊藤律の釈放した(翌1980年に伊藤は日本に帰国)。

1985年に兪強声事件が発生すると[1]、解任された陳丕顕に替わって党中央政法委員会書記となり、中央政治局委員・中央書記処書記を兼任。党において政治・法律・情報・司法を担当。

1986年国務院副総理に就任。1987年、中央政治局常務委員に昇格。中央規律検査委員会書記・中央政法委員会書記を兼任し、政治局における序列は第3位となった。

1989年6月、第2次天安門事件によって趙紫陽総書記を解任されると、喬は楊尚昆国家主席・党中央政治局委員)によって趙の後継に推薦された。しかし、陳雲・李先念ら保守派長老が推薦した江沢民が後継の総書記に就任。喬は同事件によって失脚した胡啓立に代わり中央書記処常務書記を兼任した。同年、中央党校校長に就任。1993年全国人民代表大会常務委員長に就任。田紀雲副委員長と共に、全人代の政党に対する監督機能を高めるべく奔走した。

1997年9月の第14回党大会で中央委員を引退。1998年、全人代常務委員長を退任。

脚注[編集]

  1. ^ 1985年、当時国家安全局外事局長だった兪強声がアメリカに亡命した事件。父は第一機械工業部長などを務めた兪啓威。文革終結で後ろ盾だった汪東興、于桑が相次いで失脚したためと言われている。この責任を取って陳丕顕は中央政法委員会書記を辞任した。
中華人民共和国の旗中華人民共和国
先代:
万里
全国人民代表大会
常務委員長
1993年 - 1998年
次代:
李鵬
 Flag of the Chinese Communist Party.svg中国共産党
先代:
胡啓立
中央書記処常務書記
1989年 - 1992年
次代:
胡錦濤
先代:
高揚
中央党校校長
1989年 - 1993年
次代:
胡錦濤
先代:
陳雲
中央規律検査委員会書記
1987年 - 1992年
次代:
尉健行
先代:
陳丕顕
中央政法委員会書記
1985年 - 1992年
次代:
任建新
先代:
陳野蘋
中央組織部部長
1984年 - 1985年
次代:
尉健行
先代:
胡啓立
中央弁公庁主任
1983年 - 1984年
次代:
王兆国