喬 石(きょう せき、拼音: Qiáo Shí 、1924年12月 - )は、上海生まれの中華人民共和国の政治家。第6代全国人民代表大会常務委員会委員長(国会議長に相当)、第13期・第14期中国共産党中央政治局常務委員などを務めた。祖籍は浙江省定海。元の名前は蒋志彤。妻は郁文、一男一女あり。
経歴 [編集]
1940年8月、中国共産党に入党。国際問題の専門家で、政党外交を担当する中央対外連絡部長に就任。その後、中央弁公庁主任、中央組織部長など党中央の要職を歴任した。
1985年に兪強声事件が発生すると[1]、解任された陳丕顕に替わって党中央政法委員会書記となり、中央政治局委員・中央書記処書記を兼任。党において政治・法律・情報・司法を担当。
1986年、国務院副総理に就任。1987年、中央政治局常務委員に昇格。中央規律検査委員会書記・中央政法委員会書記を兼任し、政治局における序列は第3位となった。
1989年6月、第2次天安門事件によって趙紫陽が総書記を解任されると、喬は楊尚昆(国家主席・党中央政治局委員)によって趙の後継に推薦された。しかし、陳雲・李先念ら保守派長老が推薦した江沢民が後継の総書記に就任。喬は同事件によって失脚した胡啓立に代わり中央書記処常務書記を兼任した。同年、中央党校校長に就任。1993年、全国人民代表大会常務委員長に就任。田紀雲副委員長と共に、全人代の政党に対する監督機能を高めるべく奔走した。
1997年9月の第14回党大会で中央委員を引退。1998年、全人代常務委員長を退任。
脚注 [編集]
- ^ 1985年、当時国家安全局外事局長だった兪強声がアメリカに亡命した事件。父は第一機械工業部長などを務めた兪啓威。文革終結で後ろ盾だった汪東興、于桑が相次いで失脚したためと言われている。この責任を取って陳丕顕は中央政法委員会書記を辞任した。