李鵬

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李鵬(りほう:Li Peng:1928年10月20日-)は、中華人民共和国共産党政治家。中華人民共和国国務院総理首相)、全国人民代表大会第9期委員長(議会議長に相当)などを務めた。

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[編集] プロフィール

李鵬の父李硯勛は中国共産党初期の指導者であったが、中国国民党に処刑されたといわれる。周恩来とその妻鄧穎超は子供がに恵まれなかったため孤児を引き取って養っており、李鵬もその1人であった。建国の元老である父と母を後ろ盾として国務院トップまで上り詰めた二世政治家。

1979年電力工業部副部長、部長、水利電力部副部長。1982年9月の第12回党大会で中央委員入り。1983年6月に国務院副総理。1985年、政治局委員、中央書記処書記(第12期五中全会)、国家教育委員会主任など。1987年に総書記に就任した趙紫陽の後継として、国務院総理。政治局常務委員(第13期一中全会)就任。

1989年の天安門事件では一貫して強攻策を主張した。趙紫陽が北朝鮮の訪問中に留守を託された李鵬ら保守派は鄧小平に事態を誇張して報告し、鄧小平は学生運動を動乱と認定し、その意向4月26日付『人民日報』社説である「旗幟鮮明に動乱に反対せよ」に反映された。この社説に対する見解を巡って趙紫陽と決裂し、学生との対話でも終始小バカにした態度で反感を煽った。

趙紫陽失脚後の5月19日、党、国務院、解放軍などの幹部を集めた大会で講話を行い、学生たちの不満を煽った。趙紫陽、胡啓立の常務委員の失脚が確定的となった後、鄧小平たち八老は総書記の人選に入ったが、李鵬が候補として挙げられた形跡はなく、上海市党委書記で学生デモや『世界経済導報』停刊の対応を評価された江沢民(当時政治局委員)の後塵を拝することになった。学生運動の開始後ずっと前面に出ていたため、国内外に対する印象の悪さも考慮されたと思われる。

天安門事件以降、安定を最優先にしたため経済政策は引き締め路線を走り、保守派と妥協した鄧小平もついに業を煮やし1992年の旧正月に広東省や深セン市などの経済特区を突如訪れ、改革路線を肯定する談話(南巡講話)を発表して回ったため改革派が勢いづき、李鵬の引き締め路線はほとんど無視されるようになった。

政局および政策の転換により、1993年の任期をもって総理を降り、経済通の朱鎔基が後継者となるという大勢を占めていた見解に反し、続投が決まった。首相候補として挙がったのが李鵬だけだったため事実上の信任投票となったが、反対票は曽慶紅(2003年、国家副主席就任)と同率の12.5%に達した。1994年、国内の大反対を押し切って、三峡ダムの着工を強行。家族に電力会社関係者が多く、批判を集めた。

1995年頃、日本について、オーストラリア首相であったポール・キーティングに、「日本という国は40年後にはなくなってしまうかもわからない[1]」あるいは「30年もしたら日本は大体つぶれるだろう[2]」といった内容の発言をしたとされている。また、1995年に「日本などという国は20年後には消えてなくなる」と発言したと、テレビ番組「TVタックル」(テレビ朝日系)で紹介された。しかし、そのころオーストラリアを訪問した記録はなく、どこで発言したか不明であり、発言が一人歩きしている感はある。[3]

1998年、朱鎔基に総理の座を譲り、全人代委員長に就任。2003年に退任し、引退した。

2008年2月5日、脳梗塞を起こし北京301医院に搬送された。半年後の9月25日、高速鉄道「和諧号」に乗車しているところを報じられ、健在が確認された。2009年3月に開かれた全人代にも出席している。 息子の李小鵬は山西省副省長である。

[編集] 略歴

[編集] 「元宵」事件

人民日報』海外版1990年3月20日号に、美国(アメリカ合衆国)留学生の作として、以下の七言律詩が掲載された。

東風拂面催桃
鷂鷹舒翅展
玉盤照海熱涙
遊子登思故國
休負生報國志
有我勝萬金
起直追振華夏
且待神洲遍地春

そのまま読めば、春の訪れを待つ愛国的な留学生の気持ちを詠ったものである。しかし、右斜め上から下に「李鵬下臺平民憤」(李鵬が辞めれば民の憤りは収まる)という文が隠されていたため大騒ぎになった。

中文版李鹏下台嵌字诗も参照。

[編集] 脚注

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  1. ^ 参議院 (1996-11-08). "参議院会議録情報 第134回国会 国際問題に関する調査会 第2号" (日本語). 2007年9月4日 閲覧。
  2. ^ 衆議院 (1998-05-09). "衆議院会議録情報 第140回国会 行政改革に関する特別委員会 第4号" (日本語). 2007年9月4日 閲覧。
  3. ^ 2006年7月3日の放送

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
何東昌
国家教育委員会主任
1985年 - 1988年
次代:
李鉄映
先代:
趙紫陽
国務院総理
1988年 - 1998年
次代:
朱鎔基
先代:
喬石
全国人民代表大会常務委員長
1998年 - 2003年
次代:
呉邦国