北京一・京二

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北京一・京二
メンバー 北京一
北京二
事務所 和光プロダクション
活動時期 1971年 - 1973年
2018年 -
芸種 漫才
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北 京一・京二(きた きょういち・きょうじ)は、日本のお笑いコンビ和光プロダクション所属。

メンバー[編集]

北 京一(きた きょういち)
大阪生まれ。ゼンジー北京の弟子で、2代目ゼンジー・一億の名で北京のアシスタントを務める。1973年に北京一・京二を解散した後、1974年にはパントマイム修行のため渡米する[1]1975年にはバンド「ソー・バッド・レビュー (Sooo Baad Revue)」に参加しボーカルを務める[2]。その後、渡仏して近代マイムの父と呼ばれるエティエンヌ・ドゥクルー 英語版に師事。ドイツではダンススクールを開校[3]。帰国後もパントマイム、舞台演出で活躍。2004年からは、バンド「金子マリ Presents 5th Element Will」にボーカルとパントマイムで参加[1][4]
北 京二(きた きょうじ)
京都生まれ。高校在学中に和光プロダクション所属のグループサウンズバンド「ファンキー・プリンス」に2代目ボーカリストとして加入[5][6]1971年のファンキー・プリンス解散後に、同じ和光プロダクションに所属する北京一とコンビを結成する。1973年のコンビ解散後は、コンサート、DJなどを中心に活動するが、スキルアップのために渡米。ロサンゼルスにてライブやレコーディング活動を行い、帰国後はそれまでの経験をもとに、総合プロデューサーとしてラジオ・CFテーマソングCMソング、ステージ各種イベント等の企画制作や、国内外アーティストのプロデュース、イベント等を手がける。現在は、自らバンドを率いてライブを中心に活動中[1][6]

経歴[編集]

1971年9月に漫才コンビとしてデビュー。ラジオ、テレビ、ステージに多くのレギュラー番組を持ち、舞台に出演して活躍していたが、京一はコメディからパントマイムの世界に惹かれるようになり[5]、京二は音楽に専念への意向が強く[6]、1973年に解散。長らくそれぞれの道を歩んでいたが、2018年にコンビでの活動を正式に再開する[1]

テレビ出演[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d タレント:北京一・京二”. 和光プロダクション. 2022年6月23日閲覧。
  2. ^ ソー・バッド・レビュー / The Other Side of Sooo Baad Revue”. BRIDGE INC. ONLINE STORE. 2022年6月23日閲覧。
  3. ^ About Me”. Kyoichi Kita Official Site. 2022年6月23日閲覧。
  4. ^ Mari kaneko Presents 5th Element Will”. KANEKO MARI official website. 2022年6月23日閲覧。
  5. ^ a b スペシャルインタビュー「今、かぐわしき人々」第47回:北京一さん”. 日本香堂. 2022年6月23日閲覧。
  6. ^ a b c 北 京二のプロフィール”. 株式会社システムブレーン. 2022年6月23日閲覧。
  7. ^ 必殺仕掛人 第27回「横をむいた仕掛人」”. テレ朝動画. テレビ朝日. 2022年6月23日閲覧。

外部リンク[編集]